Jul 06, 2009
とある研究会で、高齢者住宅の先進事例の話を聞く。NPOなどが中心となって、地域の住民が協力して高齢者をサポートする活動を行っているような例である。私自身も、NPOによる住宅事業などを研究しているので、そのような事例はいくつか調査しているのだが、自分の知らないところでまだいろいろと事例があるというのは、大変興味深い。
だが、聞いているうちに、若干の疑問も浮かんできた。今日紹介された事例や、私が調査している事例など、興味深い先進事例というのは全国にたくさんあり、まだ隠れているものもたくさんあるのだろう。しかし、それらを調査研究することを通じて、研究者は現場に対して何を提供出来るのだろうか?と思ってしまったのである。
調査研究を進めていけば、事例集のようなものはまず出来るし、事例に共通する成功要因や、活動の制約要因のようなものもみえてくるだろう。だが、そういう点については、先進事例に取り組む当事者は既に(少なくとも感覚としては)理解しているのであり、私のような研究者が指摘したところでそれほどの意味はない。あえて言えば、分かっていることが改めて確認出来ることくらいだろう。
当事者が直面する課題に対して、調査研究を通じて何らかの貢献が出来ればよいのだが、研究を通じて示せることと、現場で本当に必要としていることとの間には、やはりどうしてもギャップは生じてしまう。また、活動する当事者というのは、調査して分析して成果が出る頃には、おそらく課題をなんとかクリアしてもう次のステップへと進んでいる/進むことを考えているのであり、そういう意味ではいつまで経っても研究は「後追い」にならざるをえないのではないかという気もしてくる。
先進事例の当事者にとっては意味がないとしても、その後へ続こうとする二番手以降グループには、これらの情報が役に立つかもしれない。全くゼロから立ち上げるよりは、先駆者の経験やノウハウを元にした方が、効果的だからである。ただこれについても、第三者的な研究者を通じてよりも、当事者が直接伝えた方が効果的なのは言うまでもない。そういう意味で、研究者の役割はここでも二次的である。
課題をクリアするため、あるいは二番手が活動しやすくするため、「制度」化を志向するという役割もあるかもしれないが、今は制度化を行う国や自治体と研究者との間がなかなかつながっておらず、研究成果を制度や政策に直接的につなげることも難しい。また別の観点からみれば、NPOなどの活動は制度や政策に拠らないところで行われるからこそ意味があるのであり、そこに制度の枠をつくってしまうことは問題のような気もする。
などと考えれば考えるほど、事例研究の成果をどこに向けるべきか?がよくわからなくなってくるのである。このあたりは「まちづくり」に関する研究でも同じであり、こういう点に悩んだからこそ、「研究」ではなく「実践」する方向へとシフトした研究者が多く現れたようにも思える。とはいえ、実践だけでは不十分であり、研究することにも十分な意義があると、思っている(思いたい)わけだが、そういう実感が得られないのがつらいところである。
…というようなことを以前も考えたことがあるなと思ったら、すでに2006年4月のブログで同様のことを書いていたという。抱えている問題は3年経っても替わっていないようである。
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Jun 18, 2009
静岡県の三島市が、導入予定だった高さ規制を、不況のため見送ったとの記事があった。記事によれば、高層マンション建築による紛争を抑えるべく、市内の広い範囲で高さ規制(高度地区)を導入しようとしたが、規制強化が市街地開発の制約となる恐れがあるため、導入を延期したという。
不況で建築物の高さ規制を見送り、三島市(日経BP ケンプラッツ)
この話を聞いた時は、延期したものをいつの時点で導入するのか?を疑問に感じた。不況のため延期なのだから、「好況」になったら導入ということになるのだろうか。好況の定義は難しいところだが、この場合は開発振興のために延期したのだから、単に景気がよくなったとか基準数値が上がったとかではなくて、「開発が起きるようになった」ことを指すのだろう。となれば、「開発が起き始めたらor盛んになったら導入する」ということになり、盛り上がった開発意欲に水を差すような形での導入を、誰がどうやって判断出来るのか?という気がする。さらに、盛り上がったところで導入するのだろうが、(再)導入の検討から実施までには時間がかかるから、導入ギリギリでの駆け込み申請が多くなる可能性も高い。また、この「猶予」期間に建てられたものは、導入後には既存不適格になるわけである。つまり、今後問題となる物件が増えるのは明らかであり、そのことをどう考えるのかと思ってしまうわけである。
こう考えれば、むしろ不況の時、つまり開発が行われていない時だからこそ、規制を導入するという方が、長い目でみれば確実に街のためになるのではないかという気がする。そもそも、事前に規制を定めて紛争を回避するために高さ規制を準備したのだから、規制は開発が起こる前に導入されなければ意味がない。であれば、不況であるか否かにかかわらず、「あらかじめ」導入しておくことが必要なのであって、それを延期するというのは当初の論理を全く無視した対応ではないだろうか。こういう判断をした人達が、改めて規制の導入が出来るのかは、甚だ疑問と言わざるを得ず、このまま規制導入はお流れになるのではないか、という気もしてしまう。仮に導入を延期するとしても、当初予定していた規制強化の地域(市街化区域の約58%という)全体で延期する必要はないのではないか。マンションなどの開発が起きそうな地域や建ってもそれほど差し支えない地域を検討して、そこについては延期をするが、それ以外の地域は予定通り規制を行うのが、都市計画的な論理だと思うのだが。
開発圧力を受けての広範囲での規制導入は他の地域でも行われているが、規制が緊急避難的なものとして位置づけられている限りは、今回のような形、つまり開発がないのだから規制はしなくてもよい、という論理がどうしても出てくるのだろう。その結果として、好況の時には規制を強化し、不況時には規制を緩和するという、景気に応じて都市計画を変えるような対応がなされるのかもしれない。都市計画というのは、昔のように長期的な将来像に基づいて固定的に規定するグランドデザインというよりは、その時々の街の状況に応じて柔軟に使い分ける道具のようなものになっているから、都市計画が変わること自体はそう問題ではないと思う。しかし、単純に好不況に左右されて、好況を呼び込むための手段のように使われることには、どうしても違和感を感じてしまう。そういう使い方から生じた問題が、バブル以降の規制緩和の流れの中でいくつもみられているではないか。もう少し長い目で都市を考えて、あるべき都市像を踏まえつつ、それを実現するために道具としての規制をうまく柔軟に活用する、という方向にいかないものだろうか。
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Jun 01, 2009
台湾の被災マンション(区分所有集合住宅)の復興を扱った論文「区分所有集合住宅の再建事例にみる復興支援策の効果-台湾・集集地震における被災集合住宅の再建 その2」が、学会誌に掲載された(PDFファイルはこちら)。復興支援策の全体像をまとめた第1報(PDFはこちら)、支援策の個別事例への影響をみたこの第2報、そして台湾と神戸・阪神大震災の復興支援策を比較検討した英語論文(PDFはこちら)と、3本の論文を出すことができ、これでようやく台湾の震災復興研究が一段落した形である。
思い返してみれば、初めて現地に行ったのが震災後2年半経った2002年で、その後2006年までの間に計5回訪れていろいろな人に話を聞いて回った成果が、これらの論文となった。当初は現地の事情が全く分からなかったが、通っているうちに徐々に状況がつかめてきて、ポイントがなんとなくみえていった。言葉も全く分からなかったわけだが、優秀な通訳兼コーディネーターに助けられるうちに、基本的かつ重要な単語くらいは分かってきて、現地の文章もおおよそ内容が理解出来るくらいにはなった(その点漢字というのは便利である)。
これが初めての海外研究だったわけだが、この経験があったからこそ、その後日本・台湾・韓国のまちづくり比較研究なるものもはじめられたし、アメリカの都市計画調査もそれほど不安を持たずに参加することが出来た。そういう意味で、私にとって一つのターニングポイントとなった研究であり、その成果を震災10周年のこの年までにまとめて公表出来たことは、大変感慨深いものがある。
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ちなみに、この論文の最後は、次のような形でまとめられている。
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これより被災集合住宅の再建支援では、体系的な支援策を出来るだけ早い段階で提示すること、最大の問題である資金面での支援を行うことが重要であり、後者については適切なスキームの構築が求められる。さらには、所有者が個別に転居し生活を再建していく中で、従前所有者が共同で再建を行うことの意味や、これを重点的に支援することの意義を、改めて検討する必要があるといえる。
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改めてまとめれば、一点目は、復興の支援策はとにかく早い段階で体系的に示されるべき、ということである。台湾では、強力な支援策が組まれたものの、その提示が遅れたために、個々人が個別に生活及び住宅の再建を行ってしまったことで、マンション再建が進まなかったという側面がある。つまり、支援策は「後出し」ではダメなわけで、最初に一気に全体的なものを示すことが重要ではないか、と考えている。そういう意味では、震災がまだ起きていない今のうちに、起きた時の支援策のフレームを検討し、提示しておくことが必要だと思うのだが。そうすれば、非常時に何をすべきか/何が出来るかをあらかじめ考えておくことが出来るわけで。
二点目は、資金面の問題への対処が必要だということ。台湾では、建物が再建されるまでのつなぎ融資と、不参加者分の権利買取費用の費用拠出を行っており、これが大きな効果を挙げている。日本の場合には、低利融資という形が主に取られたわけだが、それに加えてこのような資金問題を完成後に“延期”する施策が有効ではと思う。台湾の場合、義捐金を元にした基金だったので可能だったが、日本でこういうことをどう行なえるのか、こちらについても平常時から考えておく必要があるのではないか。
最後は、むしろ再建しなくてもよいのではないか?という、逆説的な意見である。先にも書いたように、台湾では個々人が個別に住宅を確保するなどした結果、マンション再建の際に参加する居住者は少ない割合となってしまった。こういう元の建物の居住者の半数以下しか戻ってこない再建事業を、果たして「建替え」と呼んでよいのかどうか。それよりも、居住者の一部が残って同じ場所に「新築」したと考える方が、物事がスムーズになるようにも思えるのである。今の日本の仕組みは、あくまでも「建替え」を前提として組まれているが、これを逆の視点からみて、前の居住者による「新築」として考えた方が、よいのではということである。これも視点の大幅な変更を伴うから、震災が起きる前からじっくり考えておく必要があろう。
などと考えると、神戸では被災後15年、台湾では被災後10年を迎え、時間が経って問題を全体的に客観的に捉えられる今だからこそ、将来起こりうる都市部の大震災を踏まえた上で、再建のあり方を考え始めなければならないのではないか。…と思うのだが、研究者や行政官というのは、目の前で起きている問題には飛びつくが、それを後からじっくり検証したりする視点には欠ける部分があるので、なかなかこういう動きは起きないのである。次の地震が起きてからでは、遅すぎるのだけれども。
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May 16, 2009
近い時期に行われるという都市計画法の改正に関係して、専門家や研究者が集まって議論するセミナーに参加する。自由な議論を行うためのクローズドな場だったので、内容についての詳細は述べないが、東京からいらっしゃった大御所の先生からの問題提起を受けて、関西のメンバーと意見を交換する形で話が進められた。
話の中で一番印象に残ったのは、都市計画の制度をOS(オペレーティング・システム)と捉えて、これを根本的に変えなければならないという指摘であった。制度というものは基本的なシステムであり、使いやすさ、速度・軽快さ、安定性といった観点から評価されるべきだと、以前から思っていた部分があるので、このあたりは全く同感である。そういうふうにみれば、今の都市計画制度というのは、大変使いにくく、インターフェイスも人間的ではなく、やけに重くて処理が遅く、かつ不安定で結構落ちやすいOSなのではないか、という気がする。これまでに行われた制度の改正では、新しい機能を追加するために変な形でモジュールを接ぎ木して、さらにわけの分からない重々しいものになってきた気がするので、今回の改正では、むしろこういうOSのアーキテクチャ自体を変えることを考えなければならないのだろう。
ただし、その先生は「OSは国がつくるのではなく、各自治体が自由につくれるように」と言っていたのが、私自身としては、きちんとした形の使いやすいOS自体は国がつくるべきだと思っている。OSそのものをつくるには膨大なコストがかかるから、そこまでを自治体に任せるのは無理であり、そこは国が責任を持ってつくると。ただし、そのOSに関する情報は全て公開した上で、各自治体がそのOSを必要に応じて自由にカスタマイズ出来るようにする、あるいはそのOSのもとで動くアプリケーションを個別に開発・選択出来るようにする、ことが必要だと思う。もちろん、カスタマイズもアプリケーション開発も出来ない自治体も多いだろうから、ベーシックなOSだけでもそれなりに使えることが必要だし、また基本的なアプリを国が提供することも必要だろう。
などと考えるならば、MicrosoftがWindowsの機能を毎回重くしていき、かつOSと一体的にIEやOffice等のアプリをつくってこれをスタンダードにしてしまうのではなく、LinuxなどのようにOSは多数の人の参加・関与のもとでオープンに開発して、アプリケーションも個別の開発者が自由につくるような形が、都市計画の制度にも求められるのだと言えるだろうか。フリーウエアやシェアウエアのように、個々の自治体がつくったアプリが共有財として普及していくようなこともありうるかもしれない。
もちろん、OSという比喩がそのまま都市計画に当てはまるわけではないが、そのような視点で全体のシステムを捉え直し、IT的な設計の発想も踏まえた上で、あり方を考え直してみるというのは、結構効果的なのではないかと思うが。
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Mar 23, 2009
群馬県渋川市の老人施設「静養ホームたまゆら」で火災が発生し、入所者が亡くなるという事故が起きた。この施設名・団体名をニュースでみたとき、聞いたことがある…と思って調べてみたら、施設を運営していたのは、ここ数年行っている「住宅に関連した活動を行うNPO調査」の対象団体だった。2005年に実施したアンケートにも回答があったし、その後群馬県庁に行った際には事業報告書なども収集していたのであった。
で、改めて手元の事業報告書をみてみると、運営団体は1999年の設立で、当初は「(高齢者)療養のための温浴施設」を運営しており、無料体験温浴を進めていたが、その後2003年に滞在用の部屋20室を設置して「滞在型療養施設」へと方針を転換し、さらに2004年には「生活保護者の居住施設」へと変わっている。とみると、あくまでも推測ではあるが、当初の「療養施設」ではうまく話が進まず、方針を転換して生活保護者施設に落ち着いた…というふうにもみえる。そういう意味では、建物はそもそも「高齢者の居住施設」としてつくられてはいないし、職員も介護などを前提とした人達ではないようにも思えるのである。ちなみに施設の所有者はNPO自体で、施設の入手のためとみられる借入金も数千万円ほどあるし、経営を成り立たせるには生活保護者を対象に、しかも東京から呼び寄せるしかなかったのかな、という気もする。
そういう意味では、介護が主目的のNPOが介護事業の延長的にやっている、無届け有料老人ホームともまた違ったものであって、この事故だけをもって「NPOはけしからん」「無届けは問題」と判断されるのは、どうかなと思う部分もある。NPOの中にも、そして無届け施設の中にも、きちんとしたものもあればそうでないものもあるのであり、それを一括りで問題だとする反応はどうかとも思う。
また、今回の物件は問題があったとしても、あのようなものを「施設」とみるか「住宅」とみるかでも、対応の考え方・仕方が違うのではないだろうか。「施設」とみなして全て申請・登録させて公的チェック、というのは、個人的にはなにか違うような気がしてならない。むしろ「住宅」の延長として位置づけて、公的規制というよりは、市場による適切なチェックが機能するような方向にならないものだろうか。公的に把握してコントロールしたいのならば、行政側も一定の責任を持つべきだし、その分公的な資金を出すなどの対応も必要ではないかと思うのだが。
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Feb 10, 2009
NPO法人西山記念文庫のニュースレターに書いた原稿です。
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2008年の4月に大阪にやってきて、早くも1年が経とうとしている。生まれてこのかた過ごしてきた関東を離れての、初めての関西での暮らし。関東と関西では生活環境が大きく違うと聞いてはいたが、実際住んでみると確かに異なる点が多い。人の気質や行動様式、商店の種類や並ぶ品物、そして街の雰囲気や建物の特性など、様々である。特に街の様子は興味深くて、整備された街区の内側に細い路地が残っていたり、古い木造の長屋やレトロな雰囲気の建物が軒を連ねていたり、昔ながらの商店街が活気を保っていたりなど、実に面白い。家から大学までの通勤の途中でも、また週末に家の周りを散歩するだけでも、いまだに新たな発見があるから、いうなれば毎日「まちあるき」をしているようなものである。
なにしろ、それまで8年間住んでいたのは、茨城県のつくば市。研究学園都市として計画的に整備された、郊外のニュータウンである。直線的で広幅員の車道と上を渡るペデストリアンデッキ、規則的に立ち並ぶ中高層の集合住宅群と広いオープンスペース、道路沿いに連なるスーパー・コンビニやファミレス…まるで正反対の世界だから、その分だけ今の大阪の環境が面白く感じるのだろう。計画的につくられ整ってはいるが、その分制御しきれない異物も目立ったつくばの街と、一つ一つの建物は自由で個性的だけれども、全体としてはなんとなく調和が取れている(気がする)大阪の街。車がなければ全く暮らせない街と、歩ける範囲で用事がほぼ済む街。学生と若夫婦が中心の街と、お年寄りを多く見かける街。どちらが良いということではないけれども、このあたりの対比は、住宅・都市分野の研究者としては、大変興味深い。
研究者としての立場や置かれた環境も、つくば時代とでは大きく変わった。以前の所属は国土交通省の研究所だったから、任期付の研究員とはいえ一応は国家公務員の身分。国の政策に直接・間接に役に立つ(とされる)研究課題と具体的な成果が求められ、様々な関係者との間で調整をしながら作業を進める形で、個人としての活動上の制約もいろいろあった。それにひきかえ、現在は大学のグローバルCOE関係の研究員で、自分で掲げた調査研究のテーマを、基本的には自分自身の手で、自己裁量で進めていけばよい。これもどちらが良いとは一概には言えないけれども、自分のペースで自由に課題に取り組めるのは、大変ありがたいことである。また、建築の研究者ばかりが集まった先の研究所とは違って、現在所属している学際的な研究組織で、建築以外の人文社会系の教員や同僚と意見を交わすようになったのも、大きな変化であり、貴重な機会だといえる。
このような生活上・研究上の環境の変化がどういう形で表れてくるか、今はまだ分からないけれども、これが研究者としての一つの転機になりそうな気もする。東京から離れた大阪という地で、国という立場を離れて大学に身を置いて行う研究活動は、おそらくこれまでの数年間とはまた違ったものになるだろう。現在主に取り組んでいる課題の「民間非営利組織(NPO)による住宅供給・居住支援事業」にしろ、ずっと関心を持って扱ってきたテーマの「住民主体のまちづくり」にしろ、現場レベルで行われる活動が最も重要なのは言うまでもないが、と同時に個々の活動を支えるための仕組みや制度も考えられなければならない。そのような意味で、マクロな仕組みの検討に主眼を置いたこれまでの関東での研究を踏まえつつ、現場に根ざした創意あふれる活動が長年に渡って積み重ねられている関西で、改めて研究を始めることで、何か新しい展開が見いだせるのではないかと、期待している。
この1年は、大阪での生活と大学の環境に慣れるのに多くの時間と労力を費やして、正直言って研究活動はあまり行えていなかった。また、関東在住時に関わっていたプロジェクトも残っていたので、東京出張も多く、全体としては東京を向きながら活動せざるを得なかった部分も大きい。そういう意味では、ようやくこの春から本格的に関西での研究生活が始まることになるのだろう。関西の研究者や現場とのネットワークもまだ全然出来ていないし、最大3年と任期が限られている中でどこまでのことが出来るのか不安も多いけれども、現在置かれた環境を生かして、関西に来たからこそ出来たといえるような、住宅・都市の研究を行えればと思っている。
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Feb 06, 2009
国土交通省の「分譲マンションストック500万戸時代に対応したマンション政策のあり方について(答申案)」に対して、パブリックコメントとして送った意見です。
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(意見)
本答申に示されているように、マンションにはこれだけ多くの課題があり、課題に対する施策も十分とは言えず、今後具体的な検討が必要な部分が数多く残されている。特に、「老朽マンションの再生の促進」という、最後の段階で求められる仕組みが整っていない以上、「持続可能」な居住形態とは言い難い。
このようにみれば、マンション居住というのは、解決されていない様々な課題を抱えている、ある意味で先の見えない不安定なものであり、居住者はそのことを十分認識した上で、居住することが求められる。そして、これらの課題に対しては、自らが取り組まねばならないことを意識しておくべきである。
よって、広く国民全般に、特にマンションの居住者及びこれからマンションを購入しようとする者に対して、これらのマンションが抱える課題を明確に伝え、課題の多い居住形態であることを理解した上で居住または購入がなされるよう、周知するための施策を位置づける必要がある。
合わせて、マンションに関係する事業者に対しても、このような課題の多い住宅を供給・販売し、管理運営していることを十分に認識した上で、これら課題への対応をあらかじめ考慮した上で事業を行うべきであることを、周知するための施策を位置づける必要がある。
(理由)
本答申で示されているような課題に対応する施策も十分に整備されていない中で、今後もマンションが次々と供給され、課題も何も知らないままに居住してしまうのであれば、いずれ問題となりうる物件がますます増えることになる。将来起こりうる問題を認識しつつも、ただ増えていくのを見過ごしているのだとすれば、行政の不作為と言わざるを得ない。
そのような意味で、本答申で示されているような具体的施策(具体性には全くもって欠けているが)を早急に検討して実施し、問題の解決策を用意するとともに、今後起きうる問題を防ぐ・減らす対策も必要である。防ぐ・減らす対策として最も直接的なのは、問題を抱える居住形態であるマンションというものの供給自体を制限することであろうが、それはまず無理であるので、せめて問題があることを十分に認識した上でこの居住形態を選択し、問題への対処を意識しながら居住するようにすることが必要と思われる。
そのためには、現在のマンション居住者のみならず、今後マンション居住者になりうる層も含めた国民全体に対して、マンションの抱える問題を明確に伝えることが必要であり、またマンション事業者に対しても、このような問題が起きうるものを供給・販売していることを十分に意識させることが、必要と考える。
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Oct 29, 2007
今月初めに、とあるシンポジウムを聴講した。「建築計画と不動産制度の連携」をテーマとしたもので、内容自体は以前から知っていた情報が中心だったが、パネリストの発言はなかなか興味深かった。特に印象深かったのが、あくまでも建築計画にこだわり、不動産制度に解決策を求めることをある意味残念がっていた(ようにみえた)大御所S先生の発言と、そのように指摘されたK先生が学生に向かって述べた、「建築計画に軸足を置きながら、他の分野に手を伸ばしていくことが重要」という発言である。スタンスは異なっているものの、どちらも「建築計画」にベースを置いて物事を考えている点は両者とも共通しているところが面白い。
という話を聞いて、さて私の「軸足」とは何なのか、と考え込んでしまった。これまでにやってきたことを振り返ると、研究分野としては都市計画と住宅問題を主にやってきたが、どちらかに重点を置いていたというわけではない。都市計画については制度的な話とまちづくりとを並行してやっているし、住宅問題ではマンションを中心にしていたが住宅政策的なことも扱っている。最近は、防災復興系の調査研究に関わったり、仕事で建築計画に近いこともやっているし、NPOの活動や経営なんていうことも手がけている。大学で所属していたのは環境計画を主とする研究室で、そこでの助手時代は環境系の論文指導を中心にやってもいた。…というように、幅広くいろいろなことをやっている分、どこが「軸足」なのか分からないのである。こういうふうであるから、学会でどこの分野のセッションに出てもなんとなく「外様」である印象を感じてしまうし、はっきりとした軸足を持っている人々の集まる会合についても縁がないのだろう。
私の出身学科は(少なくとも当時は)「ジェネラリスト」を育てることを目的としていて、都市計画や政策科学を中心に、経済学や社会学なども含めた幅広い教育を受けてきたので、その後もそういうスタンスで研究活動を行ってきてしまったが、ここにきてきちんとした「軸足」を定めなかったことが問題だったような気もしてくる。おかげで、ここをやっていればよいというはっきりとした研究フィールドが定まらないし、活動のベースとなるような所属グループも明確にないし、研究業績を示そうとしてもあれもこれもとなってしまいアピール力が弱くなってしまう。幅広く物事がみられる、分野にこだわらずいろいろなことが出来るというプラス面もあるが、全体的にみるとマイナス面の方が多いように思える。そのあたりは、最近になってより強く感じるようになってきた。
そういう意味では、冒頭の話のように、どこかに軸足を置いた「スペシャリスト」でありつつ、他の分野にも踏み込むのがよいのかもしれない。となると、これから何を軸足にすればよいのだろうか。近年やるようになった防災復興や建築計画はいまさら難しいだろうし、住宅問題はそれなりにはやっているがもともとその筋に入っていないと難しい面もあるから、やはり都市計画になるのだろうか。もしくは、ジェネラリストのままで、スペシャリストにも負けない知識と能力を身につけていくしかないのかもしれない。となれば、いままで以上に努力して、(増やす分野分の)これまでの倍以上の成果を出す必要があるわけで。
研究者として、この先どういうスタンスでどう生きていくべきか。難しいところである。
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Oct 22, 2007
最近のニュースでは、サブプライム問題が引き起こす世界経済への影響が繰り返し報道されている。「サブプライム」というと響きがよいが、実のところは「住宅ローン」問題である。アメリカで低所得向けに高金利で貸し出していた住宅ローンがデフォルト(焦げ付き)して、このローンを組み込んだ証券の価値が下がってしまい、経済に影響が出ているもの、と理解している(が、正しいだろうか)。ニュースでは、引き起こされた世界経済への影響の方ばかりが報道されて、その元凶である住宅ローンそのものの実態や問題はあまり扱われていないのだが、そこの部分を考えてみるといろいろと考えさせられるものがある。
まずは、返済能力の十分ではない人に対して、ローンを提供して住宅を購入させるということが、果たしてよいのかどうかということ。返済能力が低くデフォルトする可能性がある人であっても、その分のリスクを見込んでサブプライムな高利子をつければ、ローン事業自体は成り立つはずだったのだろう。貸す側の金融機関は、慎重かつ十分な計算をした上で、そのような貸し出しを行っているに違いない。にも関わらず、想定以上にデフォルトは起きて、ローン事業そのもの及びこれを組み込んだ証券の価値を揺らがしているわけで、となればそもそもの「ローンを貸すこと」自体の意味や妥当性を疑ってしまう。
もう一つは、住宅ローンを証券化して投資対象とすることがよいのかどうかということ。これまでの住宅ローンであれば、仮にデフォルトしても損を被るのは借りた個人と貸した金融機関だけであり、これはある意味互いの“自己責任”であると言えるだろうが、ローンが証券化されればより多くの投資家が損害を受けることになり、その結果が今回のような世界的な経済への影響につながってしまうのである。証券化というのは、リスクを分散することで投融資を円滑にするためのものだろうが、その分責任も分散されて見えにくくなり、影響もその分広がってしまうわけで、住宅という個人的なものに対するローンが、そういうふうに“広がって”いってしまってよいものなのか。
さらに考えれば、証券化という方法を使ってまでしてローンを提供し、低所得者を含めた多くの個人に住宅を購入させるというやり方が、本当によいものなのだろうかという気もしてくる。そもそも住宅を買う必要がなければ、ローンも必要ないのであり、もちろん証券化も必要がなく、このような経済への影響もないわけである。住宅建設による景気へのプラスの影響は大きく、実際にサブプライムローンなどによる住宅建設・販売が近年のアメリカ経済の好況をつくってきたのだろうが、それが崩れた時のマイナスの影響が大きいことも事実であって。そういうことを考えると、住宅に対する政策全般が市場重視になっていく中で、その根底にある「住宅を売る/買う」という行為の意味を改めて見直さなければならないように思う。
先日旅行した中国でも、かなり多くの巨大な住宅が建設・供給されていて、ある程度経済が活性化してくると、多くの富を得た人をターゲットにした住宅が供給されて、それが経済をさらに押し上げるという循環がある様子だったが、こういうやり方はいつまで続くものなのだろうか、それ以前に本当に良いやり方なのだろうか。
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Aug 31, 2007
最終日は住宅問題の「郊外住宅地」セッションから。このテーマは住宅問題のみならず、建築計画や都市計画の分野でも、近年盛んに行われているものであるが、住宅地の空き地や空き家の実態を報告するという、似たような研究が多いという印象が少々ある。扱われる事例が増えて知見が深まるのはよいことではあるが、研究全体として「前」に進んでいるのかどうかがよく分からない。実態や問題は十分に分かるが、調べて何になるの?と聞きたくなるようなものも散見されるし、ではどうするんだ?というところが見えないのである。
このテーマに限らず、「今後このテーマの研究で何をすべきか?/どう進めていくべきか?」みたいな部分を、質疑の時間で議論出来ればよいと思うのだが、どのセッションも普通の質疑応答に終始しており、単純な疑問点の確認や論文の主旨をあまり汲まない一方的なコメントが多いのは、非常に残念である。
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その後、都市計画のPD「地域の生活環境保全・改善・創造のための計画システムと支援方策」へ。テーマ設定的に興味を持ったので足を運んだのだが、今ひとつ何が議論したいのかが資料集からも発表からもよく分からない(ちなみに資料集の半分以上は過去の大会発表論文の寄せ集め、それはちょっとないのでは)。これまでの「まちづくり」研究と同様の論点が語られるだけで、何が新しい今日的な論点なのかがみえてこない。あえて言わせてもらうなら、そういう話はもう十分に聞いている、という感じである。といった疑問を質問したら、ポイントは「生活環境と都市計画システムの連携」とのことだったが、であればそこに論点を絞り込むべきではないかと。
ちなみにこのPDでも、2日目の協議会同様に、最後は「今日の議論をきっかけに…」との言葉があったが、すでに数年間活動を行っている委員会がこういうことを言うのはどうかとも思う。会場からの意見や議論も踏まえて今後の活動を進める…というニュアンスも感じられたが、それではこの協議会の主催者はまるで「受け手」に思えてくる。会を主催する側なのであるから、「送り手」として何らかのものを提示することが必要なのではと。具体的な研究成果が出せるとはさすがに思わないが、先に書いたような「今後このテーマの研究で何をすべきか?/どう進めていくべきか?」という方向性を提示することこそが、協議会やPDの役割だと思うのだが。
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午後は急遽入った「中越沖地震」の協議会へ。今回の震災では、柏崎市中心部の商店街が面的に被害を受けており、ここを復興・再開発する話があるので、地元の大学及び学会としてもまちづくりを支援しようとのことである。中越地震では中山間地域の問題が表面化したが、今回は地方都市の中心市街地の問題が表れたという。地震からの復興と、中心市街地の再生を両方果たさなければならないわけで、課題は多いようである。
発表後の質疑&議論では、今後この対象地域をどうすべきか、学会としてどう支援していくかが冒頭から議論されることを期待していたのだが、会場からの発言は地震の被害などの基本的な事項を質問するものばかり。この様子では興味深い議論は聞けそうにないなと思い、途中で会場を後にしてしまった。
この協議会だけではないが、聴衆の参加のもと行っているのだから聴衆からの質疑や意見を受けるべきという面はあるだろうが、そのために議論は拡散し深まっていかない部分が大きいと思う。その辺がとても不満である。聴衆はそこで行われるべき議論の趣旨に沿った質問・発言をしてもらいたいし、実行側は趣旨に沿わない意見・質問は扱わないという判断をすることも必要ではないかと思う。先にも書いたように、協議会というのは、個別具体の情報を提供するための場ではなく、現在の論点・今後の方向性というもっと大きなものを示すための場だと思うので。
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