事例と研究のあるべき関係
住まいづくり・まちづくりの活動事例と、研究との関係については、以前からいろいろと考え、悩むところも多い。研究で調査して考察するのは、大抵が先駆的な事例である。私の研究でいえば、マンションの建替えではすでに建替えが実現している事例、NPOの住まいづくりでも既に活動しており住まいをつくっている団体が対象である。つまりは、すでに世の中で起きていることを、後追い的に整理しているに過ぎない、という側面が否めない。
住まいづくりに関しては、NPO以上の民間企業の変化が早くて、我々研究者が思いついたアイデアの多くは、すでに企業が実践していることが多い。古い魅力ある住まいを借りたい人に貸すという仕組みは、先に書いたように東京R不動産などがすでに手がけているし、コーポラティブを中心とする新しい住宅供給は都市デザインシステムなどが毎年新規事業を開拓しているし、高齢者向けの住宅では生活科学運営など各社が実績をあげている。
こういう状況の中で、研究者が果たすべき役割は何なのか、が見えなくなりがちである。事例を後から追って整理して提示することにどれだけの意味があるのか、民間企業を超えるような新しいアイデアを調査研究の中から出しうるのか、など考えてしまう。こういう状況を考えると、まちづくりの研究者の多くが1980年代後半以降に実践的活動をしはじめ、実践の中から出てきた概念を論文としてまとめるという研究スタイルを取るようになったことも納得出来てしまう。おそらく、外から調査研究しているだけではダメだ、と思ったのではないだろうか(とはいえ、内で実践するだけでは研究にはならない、という側面もあるのだが)。
実践を行う実務家と、その成果を見て考察する研究者という図式は、ある意味で作家と評論家・批評家の関係に似ているといえるかもしれない。などと考えていたら、ある本にこういうくだりがあったのを思い出した。
批評家の仕事というのはそうやって、整理してやると同時に先の方を示して、しかも上手く言った場合には、先回りして待っててくれる。(中略)
マラソンでいえば心優しき伴走者であって、共に走ってくれる。脇でペースメーカーをやって「あともうちょっと」とかね、「ペースが乱れてる」とか言ってくれるというのが理想の姿でしょうね。
…池澤夏樹『沖にむかって泳ぐ』文芸春秋 より
整理した上でその先を示す、伴走者として共に走りながら声をかける。事例と研究との間にもこういう関係がありうるだろう。整理するにも、その事例をまとめるだけではなく、その他の事例も含めた全体の見取図=地図をつくって、この先どちらに/どのように進むべきかを示すこと。また事例をつねに見ながら、現場とは違う一歩引いた視点からアドバイスをすること。確かにこういうのは研究者にしか出来ないことかもしれない。
こういうところにこそ研究者の価値があるかもしれないとは思うものの、それは研究者の立場からの意味づけであって、実践を行う市民や企業などにとっては実はあまり意味のないことかもしれない、などとも思ってしまうのだが。

Comments
はじめまして。mixi関係でお邪魔させていただきました。
私は大学院で修士を取り、今、NPOでまちづくりを実践しているのですが、今思えば、社学の研究者で実践に興味のある人は極めて少なかったように思います。
都市研究やコミュニティ研究の大学人が、実際に地域で起業するようなことが起こり始めれば、また研究と事例との関係も変わってくると思うのですが、なかなか難しいみたいですね。
また、読ませていただきます。
Posted by: Shimazo | May 08, 2006 at 07:55 PM