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Dec 26, 2006

台湾より-地震の怖さを改めて思う

 調査で台湾に来ています。1999年に発生した集集地震(921地震)からの住宅・都市の復興過程の調査です。震災後7年が経ち、基本的には復興は終了しているのですが、まだ再建されていない集合住宅(マンション)や山間部の集落があるなど、いろいろと問題は残っているようです。今日は集合住宅などの再建を支援している財団法人に話を聞いて最近の状況について全体的に把握しました。明日以降は実際に再建を行った/行っているマンション住民組織に話を聞く予定で、そのあたりの実態と課題を調査した上で、被災集合住宅の再建策のあり方について検討する予定です。今後日本でも、阪神大震災のように都市直下型地震が起きたときには、多くのマンションが被害を受けるでしょう。特にマンションの数が多く、かつ古いものの割合が高い、東京で起きれば、どれだけの被害が出るかは分かりません。そのような時にどう対応すればよいのか、これは重要な課題だと思います。

 …などという調査で現地入りした当日に、台湾南部で大きな地震が起こりました。最南端の恒春沖で起きたもので、恒春で震度5、高雄市で震度4とのことです。我々のいる中部の台中でも、結構ゆれを感じました。現地のTVでは、屏東という町で民家3棟が倒壊して、2人が死亡、20数名が負傷という情報を流しています。母子が閉じこめられていて救出中との情報や、倒壊した建物から6名を救出したとの情報もありますし、また商店街で火災が発生している映像も映っています。ただし、TVの映像で見る限りでは、地域一帯の建物が複数まとめて倒壊したというのではなくて、一部の建物が個別に倒壊しているようですし、火災も個別の建物でまだ燃え広がっているというわけではなさそうです。
(なお上記情報は、現地語の分からない私が、TVの映像と漢字字幕を元に理解したもので、必ずしも正確ではありません)
 日本と同じく台湾も地震国なのですが、いつどこで地震が起こるか分からないというのを、改めて思い知らされました。現地の情報はまだ錯綜しているようですが、これ以上被害が広がらないことを祈るばかりです。

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Dec 14, 2006

被災マンションの安全性判定の課題

 とあるところからこのテーマでインタビューを受けた際に、発言内容を考えるためにまとめたメモに基づいています。

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 被災建物の安全性の判定に関しては、地震後に以下の2つが行われる。
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(1)応急危険度判定
・応急危険度判定士(行政の建築系職員及び民間の建築士等)が外観目視で実施
・余震等で発生する二次災害の防止のため、建物が安全に使用出来るかを調査
・危険(赤)、要注意(黄)、調査済(緑)の3分類
(2)建物被害認定調査
・行政職員(建築系以外も含む場合あり)が基本的に外観目視で実施
・被災者の支援等に係る罹災証明のため、建物の損傷の程度を調査
・全壊、大規模半壊、半壊、一部損壊の4区分
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 (1)は地震直後の使用に関する安全性の調査であるが、その後も引き続き居住出来るか、補修をすれば居住出来るかを判断するものではない。(2)は損傷の程度の調査であり、安全であるか、居住に耐えられるか、補修が可能かを判断するものではない。別々の方式・担当者によって行われるため、両者の結果が整合しないこともある。
 しかし、これらの判定・調査結果により、住民の復興に対する考え方が大きく左右されるのが実情であり(危険・全壊なのだから建て替えなければならない、など)、住民間での意見が食い違うことになる。また、これらの判定は、「区分所有法」及び「被災区分所有建物の再建等に関する特別措置法」で規定されている、以下のような建物の滅失の区分とは対応していない。よって、「全壊だから全部滅失」「大規模半壊だから2分の1超が滅失」と判断出来るわけではない。
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1.全部滅失 →敷地共有者の5分の4以上の賛成で建替えは可能
2.一部滅失 →区分所有者の5分の4以上の賛成で建替えは可能
  2-1.建物価格の2分の1超が滅失  →4分の3以上の賛成で復旧可能
  2-2.建物価格の2分の1以下が滅失 →過半数の賛成で復旧可能
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 阪神大震災の被災マンションでは、上記の公的な判定の他に、管理組合独自で建物の調査診断を行っているところも多い(各種アンケートによれば半数以上:主に旧マンションの施工会社や管理会社が実施)。
 しかし、地震直後に丁寧な調査を行うのは難しいこと、住民は出来るだけ早急に結果を求めること、及び建て替えるかもしれない建物に多額の調査費はかけられないことから、比較的簡易な調査にとどまっているものと思われる。つまり、安全性の判定は必ずしも適切な形では行われていない可能性があり、そのような不確実な情報に基づいて、住民は復興の方法を判断しなければならない状況にあったといえる。
 そのような中で、建物の工費解体が打ち出され、また建替えに対しては各種支援策が用意されたことによって、補修が可能だった物件でも建替えが行われる傾向にあった、とも言われている。

 建替えの場合、現在の建築基準法の基準に基づいた建物が建設されるので、新しい建物の安全性は(一応)担保される。しかし、補修の場合、選択した工事方法によって建物がどの程度安全となるか、それを明確に示す基準は存在しない。そのため、安全性の保証という観点から、補修よりも建替えに意向が向きやすい面がある。
 建替えと補修での「安全性」の問題は、資産価値という観点からも指摘出来る。建て替えられた建物であれば、新築物件として評価され、一般の新規分譲マンションと同様の資産評価がなされる。しかし補修の場合、どの程度安全なのかを示す明確な指標は存在せず、また補修された中古物件の資産価値を適正に評価する方法も確立していないため、「被災物件」とだけみなされて、資産価値は著しく低く算定される可能性もある。その結果、どうせ費用を負担するのであれば、資産価値が確実に確保出来る建替えの方がよいとの判断が働きやすい面もある。

 阪神大震災の再建(建替え)マンションでの合意形成過程をみると、被害が著しい事例では、初動期の建物調査や補修との比較検討は行われず、すぐに建替えを前提とした活動が始められている。被害が相対的に小さい事例では、初動期に「建替えか補修か?」の議論・検討が行われ、この部分に時間がかかる傾向がみられる。
 つまり、建物が明らかに「安全ではない」ならば、進むべき方向は明確であり、迷うことなく取り組みが始められるが、「安全かどうか分からない」場合には、この点の判断に時間がかかり、またその過程で「危険なので建替えを」「ある程度安全なので補修で」という建替え派/補修派という区分が生まれて、合意形成が困難になるといえる。
 建物が「安全ではない」状況は、比較的目に見えやすいものであり、住民にとっても理解・納得がしやすい。しかし「安全である」というのは、建物の中の見えない部分まで調べてはじめて言えることであり、また専門的な観点からの評価・判断となるため、住民には理解しにくいのが実情である。

 結局のところ、個々の住民、及びマンション住民全体が、いかにして「安全性」について納得出来るか、による。
 被災直後では、住民が各所に分散して避難しており、集まって十分が議論を行うのは難しい。また、住居の復興を急ぐ意味からは、時間をかけて判断をまとめていくというのも出来ない。そのような震災時という困難な状況において、多くの住民が納得出来る形で建物の「安全性」を判断し、その判断結果に基づいて、適切な復興の方向性を検討出来るような仕組みが求められる。専門的な観点から、建物の安全性を判断する方法や基準を示し、判断を実施する仕組みをつくることが必要となろう。
 しかし、そのような客観的な判断があっても、最終的にはその結果を住民が主観的に理解し受け入れなければ、復興に向けた取り組みは実現出来ない。阪神大震災の被災マンションでも、特定の建築士が行った建物診断及び復興費用の試算結果に納得しない住民が、別の建築士に再度調査を依頼したような事例もみられる。
 個々の住民、そしてマンション住民全体として、建物の安全性をどのように理解して納得するか、そのプロセスが問題になるといえる。その意味では、震災が起きる以前に、被災した場合の建物の「安全性」をどのような方法・手続で判断するかについて合意を取っておくという、「事前復興」的な考え方もあるかもしれない。

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Dec 07, 2006

「金」だけで解決出来るか?:京都市の不適格マンション対策

 京都市が市街地での高さ規制の導入を進めているそうだが、そのために発生するであろう既存不適格建物に対して、建替えの際に設計費や共用部分建設費の助成を検討しているという(京都新聞のこの記事より)。優良建築物整備事業の補助に、市独自に上乗せするのだとか。
 確かに、金銭的な補助があれば、建替えはやりやすくなるのは間違いないのだが、不適格の場合には「お金」の話だけではない。不適格とは、つまり建てられる容積が減るわけだから、建て替えれば元の所有者が持つ床もその分減るわけである。元々の住戸が広ければ多少床が減っても問題はないだろうが、狭い住戸であれば、減ってしまえば元のような生活がままならなくなる。元の広さを確保しようと思えば、一部の人に出て行ってもらい、その床の権利を買って残る人で分配するしかない。そういうことを受けいられれるか?合意出来るか?という問題が大きいのである。
 同様のダウンゾーニングで不適格マンションが多数発生した福岡県春日市では、行政と住民とがともに検討した結果取り決めた対応の中で、「居住権の保障」をうたっている。住み続けたいのに、住戸面積が狭くなることで住み続けられなくなる人、出て行かなければならない人が出ることを問題とし、その点を踏まえた対応策を検討している(その辺りの詳細はここの論文を参照)。つまり、住み続けられなくなることを出来るだけ避けるという観点から、考えているのである。
 京都の場合はどの程度の不適格が生じるのか分からないが、中には「住み続けられなく」なるような建物も生じるのだろう。そういう建物に対して、金銭的補助の効果がどれだけあるだろうか? 所有者みんなが納得して面積を減らしたり、一部の人が希望して出てゆくのならばよいのだが、そうでなければ誰かの権利を無理矢理買い取って出て行かせるような状況にもなりかねない。そのための「資金」に補助金がつながるのであれば、なんと皮肉な話ではないか。こういう買取の場合も考慮してか、弁護士などをアドバイザーとして派遣する制度も用意するようだが、そもそも合意が難しい状況下でアドバイザーを派遣しても、あまり効果的ではないのではないか。
 不適格の場合は、本来的には「円滑に小さくする」ための対応が必要なのであり、補助金にそのような効果があるのかどうかも含めて、この辺りの本質的な問題が考えられなければならないのだろう。(ちなみに前述の春日市の件では、建替えの際には出来るだけ容積を減らすよう、住民側も努力するとされている)

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Dec 04, 2006

次代の研究者をいかに育てるか?

 今は一研究者として研究だけをやっている身分だが、今後も研究者として生きていくことを考えると、大学で教えるというのが一つの選択肢となってくる。となると、当然学生にものを教えることが求められるわけだが、そこで考えてしまうのが、学生への「教え方」である。知識を伝える講義はまだよいとして、論文を自分でつくりあげていくいわば「研究力」というのはどうやって教えればよいのか、今ひとつ分からないのである。
 自分の場合を考えてみると、ごくごく基本的なノウハウや研究に対する姿勢は、教えられたというより、研究室全体の雰囲気の中で学んできたように思うが、それをどうやって伝えればよいのか、よく分からないのである。個別の場面場面で何をすべきかはアドバイスできるが、全体として「研究の仕方」をどう身につけさせられるのかは、なかなか難しい。
 そこで自分の趣味であるサッカーの世界を見ると、指導の体系というのがかなり整えられているし、また個別の技術ではない部分、例えば個の力を発揮させる姿勢とか、場面場面での判断力を育てる方法というのも、いろいろな試みがされている。日本サッカー協会の示す方向性があって、それに基づいて全国の指導者がある程度同じ方向を向いて、全体として育成を進めていこうという形である。
 で、振り返って我々分野の研究の社会をみると、そういう形はほとんどみられない。学生の指導は個々の教官のやり方にまかされているし、またその方法も個々人の個性や経験に基づくものであって、方法論が体系化されているわけではない。研究というのはそういう個人的なものだ、という見方もあるかもしれないが、研究分野全体として成果を上げ発展させていく意味では、ある程度の指導の体系化というものが必要になるのではないか…と、サッカー界を見ていて思ったりするのである。
 学会というのは、基本的には「研究を行う者」の集まりであるが、研究を行う者は指導を行う者でもあることが多いわけだから、研究に関する議論の他に、指導に関する議論もあっていいように思う。研究者を育てるにはどういう指導をすればよいか、学部・修士・博士と進む中で段階的にどういう能力を伸ばしていけばよいのかなど、基本的な方法論が体系化されて共有化されてもよいのではないかと。サッカー協会みたいに、学会としての「指導ガイドライン」みたいなものを提案するというのはどうだろうか。
 その前に、研究というもの自体の体系化もされる必要があるだろう。研究者は個人で動くものであるが、研究分野全体として「こういう研究をしなければならない」「こういう成果を上げるべき」というのは存在するのであろうから、そういう方向性や研究の方法の体系化などが図られなければならないのではないか。そのようなことがないから、同じような研究を様々なところで平行して行われることとなり、成果がかぶったり、力が分散されて十分な成果が出ないというような状況が生まれているのではないか。
 例えば、都市計画学会では、毎年学会誌で「本年の研究の動向」をまとめているが、これ執筆する担当者が個人としてまとめる単なる論文紹介・論文一覧となっていて、正直あまり面白くない。どうせなら、当該分野の研究者数人を指名して議論してもらい、この分野で今年どんな成果が出たと言えるか・まだ何が足りないか・来年は(もしくは短期・中期的に)どんな研究をすればよいのか、といったあたりの提言をまとめるくらいのことをしてもよいようにも思う。
 それくらいしないと、サッカーと同じように、個人のレベルは上がっていかないし、全体としてのレベルも上げることが出来ず、世界で「勝てない」のではないか。現時点で勝てているのか、ランキング何位くらいなのかも分からないし、そもそも「勝つ」必要などない、と言われればそれまでなのだが。

(ちなみにこの文章は、フジテレビで12/3深夜に放送された番組「もう惨敗は嫌だ!日本サッカー再生計画」に触発されて書いたものです。この番組はなかなか興味深かった)

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