Jun 18, 2009

都市計画規制は好不況に影響されるべきか?

 静岡県の三島市が、導入予定だった高さ規制を、不況のため見送ったとの記事があった。記事によれば、高層マンション建築による紛争を抑えるべく、市内の広い範囲で高さ規制(高度地区)を導入しようとしたが、規制強化が市街地開発の制約となる恐れがあるため、導入を延期したという。
   不況で建築物の高さ規制を見送り、三島市(日経BP ケンプラッツ)
 この話を聞いた時は、延期したものをいつの時点で導入するのか?を疑問に感じた。不況のため延期なのだから、「好況」になったら導入ということになるのだろうか。好況の定義は難しいところだが、この場合は開発振興のために延期したのだから、単に景気がよくなったとか基準数値が上がったとかではなくて、「開発が起きるようになった」ことを指すのだろう。となれば、「開発が起き始めたらor盛んになったら導入する」ということになり、盛り上がった開発意欲に水を差すような形での導入を、誰がどうやって判断出来るのか?という気がする。さらに、盛り上がったところで導入するのだろうが、(再)導入の検討から実施までには時間がかかるから、導入ギリギリでの駆け込み申請が多くなる可能性も高い。また、この「猶予」期間に建てられたものは、導入後には既存不適格になるわけである。つまり、今後問題となる物件が増えるのは明らかであり、そのことをどう考えるのかと思ってしまうわけである。
 こう考えれば、むしろ不況の時、つまり開発が行われていない時だからこそ、規制を導入するという方が、長い目でみれば確実に街のためになるのではないかという気がする。そもそも、事前に規制を定めて紛争を回避するために高さ規制を準備したのだから、規制は開発が起こる前に導入されなければ意味がない。であれば、不況であるか否かにかかわらず、「あらかじめ」導入しておくことが必要なのであって、それを延期するというのは当初の論理を全く無視した対応ではないだろうか。こういう判断をした人達が、改めて規制の導入が出来るのかは、甚だ疑問と言わざるを得ず、このまま規制導入はお流れになるのではないか、という気もしてしまう。仮に導入を延期するとしても、当初予定していた規制強化の地域(市街化区域の約58%という)全体で延期する必要はないのではないか。マンションなどの開発が起きそうな地域や建ってもそれほど差し支えない地域を検討して、そこについては延期をするが、それ以外の地域は予定通り規制を行うのが、都市計画的な論理だと思うのだが。
 開発圧力を受けての広範囲での規制導入は他の地域でも行われているが、規制が緊急避難的なものとして位置づけられている限りは、今回のような形、つまり開発がないのだから規制はしなくてもよい、という論理がどうしても出てくるのだろう。その結果として、好況の時には規制を強化し、不況時には規制を緩和するという、景気に応じて都市計画を変えるような対応がなされるのかもしれない。都市計画というのは、昔のように長期的な将来像に基づいて固定的に規定するグランドデザインというよりは、その時々の街の状況に応じて柔軟に使い分ける道具のようなものになっているから、都市計画が変わること自体はそう問題ではないと思う。しかし、単純に好不況に左右されて、好況を呼び込むための手段のように使われることには、どうしても違和感を感じてしまう。そういう使い方から生じた問題が、バブル以降の規制緩和の流れの中でいくつもみられているではないか。もう少し長い目で都市を考えて、あるべき都市像を踏まえつつ、それを実現するために道具としての規制をうまく柔軟に活用する、という方向にいかないものだろうか。

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Jun 01, 2009

台湾の実態から被災マンション復興を考える

 台湾の被災マンション(区分所有集合住宅)の復興を扱った論文「区分所有集合住宅の再建事例にみる復興支援策の効果-台湾・集集地震における被災集合住宅の再建 その2」が、学会誌に掲載された(PDFファイルはこちら)。復興支援策の全体像をまとめた第1報(PDFはこちら)、支援策の個別事例への影響をみたこの第2報、そして台湾と神戸・阪神大震災の復興支援策を比較検討した英語論文(PDFはこちら)と、3本の論文を出すことができ、これでようやく台湾の震災復興研究が一段落した形である。
 思い返してみれば、初めて現地に行ったのが震災後2年半経った2002年で、その後2006年までの間に計5回訪れていろいろな人に話を聞いて回った成果が、これらの論文となった。当初は現地の事情が全く分からなかったが、通っているうちに徐々に状況がつかめてきて、ポイントがなんとなくみえていった。言葉も全く分からなかったわけだが、優秀な通訳兼コーディネーターに助けられるうちに、基本的かつ重要な単語くらいは分かってきて、現地の文章もおおよそ内容が理解出来るくらいにはなった(その点漢字というのは便利である)。
 これが初めての海外研究だったわけだが、この経験があったからこそ、その後日本・台湾・韓国のまちづくり比較研究なるものもはじめられたし、アメリカの都市計画調査もそれほど不安を持たずに参加することが出来た。そういう意味で、私にとって一つのターニングポイントとなった研究であり、その成果を震災10周年のこの年までにまとめて公表出来たことは、大変感慨深いものがある。

 ちなみに、この論文の最後は、次のような形でまとめられている。
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これより被災集合住宅の再建支援では、体系的な支援策を出来るだけ早い段階で提示すること、最大の問題である資金面での支援を行うことが重要であり、後者については適切なスキームの構築が求められる。さらには、所有者が個別に転居し生活を再建していく中で、従前所有者が共同で再建を行うことの意味や、これを重点的に支援することの意義を、改めて検討する必要があるといえる。
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 改めてまとめれば、一点目は、復興の支援策はとにかく早い段階で体系的に示されるべき、ということである。台湾では、強力な支援策が組まれたものの、その提示が遅れたために、個々人が個別に生活及び住宅の再建を行ってしまったことで、マンション再建が進まなかったという側面がある。つまり、支援策は「後出し」ではダメなわけで、最初に一気に全体的なものを示すことが重要ではないか、と考えている。そういう意味では、震災がまだ起きていない今のうちに、起きた時の支援策のフレームを検討し、提示しておくことが必要だと思うのだが。そうすれば、非常時に何をすべきか/何が出来るかをあらかじめ考えておくことが出来るわけで。
 二点目は、資金面の問題への対処が必要だということ。台湾では、建物が再建されるまでのつなぎ融資と、不参加者分の権利買取費用の費用拠出を行っており、これが大きな効果を挙げている。日本の場合には、低利融資という形が主に取られたわけだが、それに加えてこのような資金問題を完成後に“延期”する施策が有効ではと思う。台湾の場合、義捐金を元にした基金だったので可能だったが、日本でこういうことをどう行なえるのか、こちらについても平常時から考えておく必要があるのではないか。
 最後は、むしろ再建しなくてもよいのではないか?という、逆説的な意見である。先にも書いたように、台湾では個々人が個別に住宅を確保するなどした結果、マンション再建の際に参加する居住者は少ない割合となってしまった。こういう元の建物の居住者の半数以下しか戻ってこない再建事業を、果たして「建替え」と呼んでよいのかどうか。それよりも、居住者の一部が残って同じ場所に「新築」したと考える方が、物事がスムーズになるようにも思えるのである。今の日本の仕組みは、あくまでも「建替え」を前提として組まれているが、これを逆の視点からみて、前の居住者による「新築」として考えた方が、よいのではということである。これも視点の大幅な変更を伴うから、震災が起きる前からじっくり考えておく必要があろう。
 などと考えると、神戸では被災後15年、台湾では被災後10年を迎え、時間が経って問題を全体的に客観的に捉えられる今だからこそ、将来起こりうる都市部の大震災を踏まえた上で、再建のあり方を考え始めなければならないのではないか。…と思うのだが、研究者や行政官というのは、目の前で起きている問題には飛びつくが、それを後からじっくり検証したりする視点には欠ける部分があるので、なかなかこういう動きは起きないのである。次の地震が起きてからでは、遅すぎるのだけれども。

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Feb 06, 2009

マンション政策のあり方

 国土交通省の「分譲マンションストック500万戸時代に対応したマンション政策のあり方について(答申案)」に対して、パブリックコメントとして送った意見です。
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(意見)
 本答申に示されているように、マンションにはこれだけ多くの課題があり、課題に対する施策も十分とは言えず、今後具体的な検討が必要な部分が数多く残されている。特に、「老朽マンションの再生の促進」という、最後の段階で求められる仕組みが整っていない以上、「持続可能」な居住形態とは言い難い。
 このようにみれば、マンション居住というのは、解決されていない様々な課題を抱えている、ある意味で先の見えない不安定なものであり、居住者はそのことを十分認識した上で、居住することが求められる。そして、これらの課題に対しては、自らが取り組まねばならないことを意識しておくべきである。
 よって、広く国民全般に、特にマンションの居住者及びこれからマンションを購入しようとする者に対して、これらのマンションが抱える課題を明確に伝え、課題の多い居住形態であることを理解した上で居住または購入がなされるよう、周知するための施策を位置づける必要がある。
 合わせて、マンションに関係する事業者に対しても、このような課題の多い住宅を供給・販売し、管理運営していることを十分に認識した上で、これら課題への対応をあらかじめ考慮した上で事業を行うべきであることを、周知するための施策を位置づける必要がある。

(理由)
 本答申で示されているような課題に対応する施策も十分に整備されていない中で、今後もマンションが次々と供給され、課題も何も知らないままに居住してしまうのであれば、いずれ問題となりうる物件がますます増えることになる。将来起こりうる問題を認識しつつも、ただ増えていくのを見過ごしているのだとすれば、行政の不作為と言わざるを得ない。
 そのような意味で、本答申で示されているような具体的施策(具体性には全くもって欠けているが)を早急に検討して実施し、問題の解決策を用意するとともに、今後起きうる問題を防ぐ・減らす対策も必要である。防ぐ・減らす対策として最も直接的なのは、問題を抱える居住形態であるマンションというものの供給自体を制限することであろうが、それはまず無理であるので、せめて問題があることを十分に認識した上でこの居住形態を選択し、問題への対処を意識しながら居住するようにすることが必要と思われる。
 そのためには、現在のマンション居住者のみならず、今後マンション居住者になりうる層も含めた国民全体に対して、マンションの抱える問題を明確に伝えることが必要であり、またマンション事業者に対しても、このような問題が起きうるものを供給・販売していることを十分に意識させることが、必要と考える。

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Dec 14, 2006

被災マンションの安全性判定の課題

 とあるところからこのテーマでインタビューを受けた際に、発言内容を考えるためにまとめたメモに基づいています。

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 被災建物の安全性の判定に関しては、地震後に以下の2つが行われる。
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(1)応急危険度判定
・応急危険度判定士(行政の建築系職員及び民間の建築士等)が外観目視で実施
・余震等で発生する二次災害の防止のため、建物が安全に使用出来るかを調査
・危険(赤)、要注意(黄)、調査済(緑)の3分類
(2)建物被害認定調査
・行政職員(建築系以外も含む場合あり)が基本的に外観目視で実施
・被災者の支援等に係る罹災証明のため、建物の損傷の程度を調査
・全壊、大規模半壊、半壊、一部損壊の4区分
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 (1)は地震直後の使用に関する安全性の調査であるが、その後も引き続き居住出来るか、補修をすれば居住出来るかを判断するものではない。(2)は損傷の程度の調査であり、安全であるか、居住に耐えられるか、補修が可能かを判断するものではない。別々の方式・担当者によって行われるため、両者の結果が整合しないこともある。
 しかし、これらの判定・調査結果により、住民の復興に対する考え方が大きく左右されるのが実情であり(危険・全壊なのだから建て替えなければならない、など)、住民間での意見が食い違うことになる。また、これらの判定は、「区分所有法」及び「被災区分所有建物の再建等に関する特別措置法」で規定されている、以下のような建物の滅失の区分とは対応していない。よって、「全壊だから全部滅失」「大規模半壊だから2分の1超が滅失」と判断出来るわけではない。
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1.全部滅失 →敷地共有者の5分の4以上の賛成で建替えは可能
2.一部滅失 →区分所有者の5分の4以上の賛成で建替えは可能
  2-1.建物価格の2分の1超が滅失  →4分の3以上の賛成で復旧可能
  2-2.建物価格の2分の1以下が滅失 →過半数の賛成で復旧可能
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 阪神大震災の被災マンションでは、上記の公的な判定の他に、管理組合独自で建物の調査診断を行っているところも多い(各種アンケートによれば半数以上:主に旧マンションの施工会社や管理会社が実施)。
 しかし、地震直後に丁寧な調査を行うのは難しいこと、住民は出来るだけ早急に結果を求めること、及び建て替えるかもしれない建物に多額の調査費はかけられないことから、比較的簡易な調査にとどまっているものと思われる。つまり、安全性の判定は必ずしも適切な形では行われていない可能性があり、そのような不確実な情報に基づいて、住民は復興の方法を判断しなければならない状況にあったといえる。
 そのような中で、建物の工費解体が打ち出され、また建替えに対しては各種支援策が用意されたことによって、補修が可能だった物件でも建替えが行われる傾向にあった、とも言われている。

 建替えの場合、現在の建築基準法の基準に基づいた建物が建設されるので、新しい建物の安全性は(一応)担保される。しかし、補修の場合、選択した工事方法によって建物がどの程度安全となるか、それを明確に示す基準は存在しない。そのため、安全性の保証という観点から、補修よりも建替えに意向が向きやすい面がある。
 建替えと補修での「安全性」の問題は、資産価値という観点からも指摘出来る。建て替えられた建物であれば、新築物件として評価され、一般の新規分譲マンションと同様の資産評価がなされる。しかし補修の場合、どの程度安全なのかを示す明確な指標は存在せず、また補修された中古物件の資産価値を適正に評価する方法も確立していないため、「被災物件」とだけみなされて、資産価値は著しく低く算定される可能性もある。その結果、どうせ費用を負担するのであれば、資産価値が確実に確保出来る建替えの方がよいとの判断が働きやすい面もある。

 阪神大震災の再建(建替え)マンションでの合意形成過程をみると、被害が著しい事例では、初動期の建物調査や補修との比較検討は行われず、すぐに建替えを前提とした活動が始められている。被害が相対的に小さい事例では、初動期に「建替えか補修か?」の議論・検討が行われ、この部分に時間がかかる傾向がみられる。
 つまり、建物が明らかに「安全ではない」ならば、進むべき方向は明確であり、迷うことなく取り組みが始められるが、「安全かどうか分からない」場合には、この点の判断に時間がかかり、またその過程で「危険なので建替えを」「ある程度安全なので補修で」という建替え派/補修派という区分が生まれて、合意形成が困難になるといえる。
 建物が「安全ではない」状況は、比較的目に見えやすいものであり、住民にとっても理解・納得がしやすい。しかし「安全である」というのは、建物の中の見えない部分まで調べてはじめて言えることであり、また専門的な観点からの評価・判断となるため、住民には理解しにくいのが実情である。

 結局のところ、個々の住民、及びマンション住民全体が、いかにして「安全性」について納得出来るか、による。
 被災直後では、住民が各所に分散して避難しており、集まって十分が議論を行うのは難しい。また、住居の復興を急ぐ意味からは、時間をかけて判断をまとめていくというのも出来ない。そのような震災時という困難な状況において、多くの住民が納得出来る形で建物の「安全性」を判断し、その判断結果に基づいて、適切な復興の方向性を検討出来るような仕組みが求められる。専門的な観点から、建物の安全性を判断する方法や基準を示し、判断を実施する仕組みをつくることが必要となろう。
 しかし、そのような客観的な判断があっても、最終的にはその結果を住民が主観的に理解し受け入れなければ、復興に向けた取り組みは実現出来ない。阪神大震災の被災マンションでも、特定の建築士が行った建物診断及び復興費用の試算結果に納得しない住民が、別の建築士に再度調査を依頼したような事例もみられる。
 個々の住民、そしてマンション住民全体として、建物の安全性をどのように理解して納得するか、そのプロセスが問題になるといえる。その意味では、震災が起きる以前に、被災した場合の建物の「安全性」をどのような方法・手続で判断するかについて合意を取っておくという、「事前復興」的な考え方もあるかもしれない。

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Dec 07, 2006

「金」だけで解決出来るか?:京都市の不適格マンション対策

 京都市が市街地での高さ規制の導入を進めているそうだが、そのために発生するであろう既存不適格建物に対して、建替えの際に設計費や共用部分建設費の助成を検討しているという(京都新聞のこの記事より)。優良建築物整備事業の補助に、市独自に上乗せするのだとか。
 確かに、金銭的な補助があれば、建替えはやりやすくなるのは間違いないのだが、不適格の場合には「お金」の話だけではない。不適格とは、つまり建てられる容積が減るわけだから、建て替えれば元の所有者が持つ床もその分減るわけである。元々の住戸が広ければ多少床が減っても問題はないだろうが、狭い住戸であれば、減ってしまえば元のような生活がままならなくなる。元の広さを確保しようと思えば、一部の人に出て行ってもらい、その床の権利を買って残る人で分配するしかない。そういうことを受けいられれるか?合意出来るか?という問題が大きいのである。
 同様のダウンゾーニングで不適格マンションが多数発生した福岡県春日市では、行政と住民とがともに検討した結果取り決めた対応の中で、「居住権の保障」をうたっている。住み続けたいのに、住戸面積が狭くなることで住み続けられなくなる人、出て行かなければならない人が出ることを問題とし、その点を踏まえた対応策を検討している(その辺りの詳細はここの論文を参照)。つまり、住み続けられなくなることを出来るだけ避けるという観点から、考えているのである。
 京都の場合はどの程度の不適格が生じるのか分からないが、中には「住み続けられなく」なるような建物も生じるのだろう。そういう建物に対して、金銭的補助の効果がどれだけあるだろうか? 所有者みんなが納得して面積を減らしたり、一部の人が希望して出てゆくのならばよいのだが、そうでなければ誰かの権利を無理矢理買い取って出て行かせるような状況にもなりかねない。そのための「資金」に補助金がつながるのであれば、なんと皮肉な話ではないか。こういう買取の場合も考慮してか、弁護士などをアドバイザーとして派遣する制度も用意するようだが、そもそも合意が難しい状況下でアドバイザーを派遣しても、あまり効果的ではないのではないか。
 不適格の場合は、本来的には「円滑に小さくする」ための対応が必要なのであり、補助金にそのような効果があるのかどうかも含めて、この辺りの本質的な問題が考えられなければならないのだろう。(ちなみに前述の春日市の件では、建替えの際には出来るだけ容積を減らすよう、住民側も努力するとされている)

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Apr 01, 2006

団地の豊かな住環境をどう残すか?

 阿佐ヶ谷住宅での見学会(兼花見)に誘われて足を運ぶ。南阿佐ヶ谷駅から歩いて数分の好立地に、低層4階建の箱型集合住宅を囲むように2階建てテラスハウス棟が並ぶ、全350戸の分譲団地である。中心部に大きな広場を持つほか、団地内の各所にも小広場があり、住棟間にも庭と歩行者通路がゆとりをもってつくられていて、オープンスペースが充実している。テラスハウス棟が前川國男の設計ということで知られるが、それ以上にこの団地全体の空間が素敵である。設計された魅力的な空間構成を、建設後に育った木々がより豊かなものにしているという印象(団地の様子は住民の方がつくるWEB「阿佐ヶ谷団地日記」を)。
 しかし、この団地でも建替えの話が進んでおり、すでに建替え決議の手続きを終えて、今後事業者との事業協定と等価交換契約に進むとのこと。この手の団地建替えが一般にそうであるように、従前の空間構成はあまり考慮されることなく、6階建ての(現状と比べれば)規模の大きな住棟が並ぶ計画という。こういう変化を望まない居住者もおり、また周辺住民も問題にしているとのことだが、区分所有者内部での合意が得られている以上、基本的には現在の空間は壊されて新しい建物が建つことになってしまうと思われる。
 区分所有という特性上、このようにどうしても容積を活用して余剰床をつくる方向になってしまうのが、団地建替えの実情である。多種多様な意見を持つ多数の区分所有者の合意を得るためには、「費用負担」という最も分かりやすく共通性の高い価値基準が重視されるため、余剰床を販売し負担を下げる方向で計画が検討されてしまうからである。つまり、空間的な価値よりも金銭的な価値が優先されてしまう。
 こういう状況の中で、どうすれば良い住環境を残せるのだろうか? おそらく、空間の価値が金銭的な価値を生み出すような仕組みがつくられなければならないのだろう。あのような良い住環境と、その価値に対して金銭を支払う人とをつなぎ、そこから一定の利益を生み出す新しい市場のようなものだろうか。その辺のところは近年考え続けているのだが、まだまだみえていないのである。

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Feb 19, 2006

創造的な管理運営の仕組みを

 2000年度建築学会研究協議会資料「21世紀の都市居住…マンション問題とその可能性」に掲載された文章です。
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 以前、住民参加による公的賃貸団地の建替えを研究する人から、こう言われたことがある。「分譲マンションはいいですね。全部自分達で決めることが出来て」。確かにその通りで、住戸を所有するマンション住民は自らの住環境に対する決定権を持つのだが、この権利も"区分所有"されるがゆえに、良い住環境はつくりだされていないようにみえる。意欲ある提案が出されても、多数の人から理解を得るのは難しく、合意に至らず終わってしまうか、もしくは結局誰もが受け入れられる必要最低限の内容になってしまうからだろう。むしろ権利を持たない賃貸団地のほうが、住民の意見を活かした積極的な取り組みがなされているようである。
 これまでの管理は、起きた問題をその都度解消する、いわば「マイナスをゼロに戻す」対応であった。そのため住民の賛同もまだ得やすく、低いレベルの対応であってもなんとか目的を果たすことが出来た。しかしこれからは、住環境をより向上させる「ゼロをプラスに変える」対応、もしくは今の住環境を活かしながらこれを高める「プラスを引き出す」対応が重要になろう。その時に必要なのは、個々の住民の意向を反映しながら意思決定を進める適切な手順であり、その中で計画を良いものへと高めていく、創造的な管理運営の仕組みではないだろうか。日常的な維持行為に始まり、大規模修繕や改修、そして最終的な建替えの場面まで、連続した形でより良い住環境の創造が果たせるような、運営のシステムが求められる。

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地域通貨をマンション管理に活かす

 以前2002.6.12に書いた文章を、改めて載せてみました。
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 近年「地域通貨」というものが話題になっている。いわゆる普通のお金と違って、特定の地域や会員の間でのみ流通するもので、実際のお金でやりとりしにくいボランティア活動や助け合いを促し、また地域の人々の関係をより強めていこうとするものである。現在は日本全国の様々な場所ではじめられており、まだまだ規模は小さいものの、地域のコミュニティの再生、地域経済の活性化、ボランティア活動の普及などの観点から、大いに期待されているようである。詳しくは書籍や他のサイトでみてもらうとして、上記の地域通貨のポイントというのは、マンション管理に実にぴったりとあてはまるのではないかと思えてくる。特定の地域(=マンション敷地)の中で、互いに顔の見える会員(=管理組合組合員)の間で行われる、ボランティア的活動(=管理参加行為)に対して通貨を払い流通させる。まさしくマンションにおいてこそ、地域通貨導入の条件が整っているといえる。
 マンション管理において理事等の役職を引き受ける人は、面倒な仕事をやらされるが報酬はない場合が多く、そのためなり手が見つからないことが問題となっている。このような場面で、報酬を現金で払おうとするからどうも気がひけるのであって、地域通貨で支払えばよいのではないか。理事等の職務に関わる人数は限られているから、年間に発行する通貨の額は決まっており、総量の管理はしやすい。通貨は、例えば管理費などに充当できることとすれば、受け取った方にとってメリットとなる。地域通貨で支払われる分の管理費については、年間の通貨発行量は決まっているのだから、これに相当する分を年初の予算に織り込んでおけばよい。
 清掃などを自主的に行っている管理組合ならば、このような行為に対しても地域通貨を支払うことも可能だろう。受け取った通貨は、次回の清掃などの時に支払えば参加が免除されるような仕組みにすれば、参加のモチベーションも(少しは)上がるかもしれない。この考えを発展させていけば、管理に参加できる人は「行動」で支払い、参加できない人は「地域通貨」で支払うというシステムも出来るだろう。ここまで流通すればその後は様々な展開が考えられ、一般の地域通貨で行われているような、住民間でのボランティア活動や、それぞれの住民が持つ知識・技能のやりとりなども期待できよう。さらには、周りの商店や住民も巻き込んでいけば、これはもう立派な「地域」の通貨となる。
 一般の地域通貨だと、参加して使うかどうかは各人の自由であるため、なかなか参加者が増えず流通しないという側面が大きいように思える。その点、マンション住民が必ず(直接・間接に)関わらなければならない、管理という行為で導入すれば、流通することは間違いないだろう。数百戸の団地ならば、あっという間に大きな額の地域通貨が使われることになる。また、管理組合というはっきりとした組織が通貨を運営するので、信用力や担保力という面からもある程度の効果があろう。そして通貨の流通の中で住民間の関係が生まれ、その後のマンション管理にもプラスの影響が出るのではないだろうか。
 …などと考えるのだが、すでにはじめているところはあるのだろうか?

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