Jun 01, 2009

台湾の実態から被災マンション復興を考える

 台湾の被災マンション(区分所有集合住宅)の復興を扱った論文「区分所有集合住宅の再建事例にみる復興支援策の効果-台湾・集集地震における被災集合住宅の再建 その2」が、学会誌に掲載された(PDFファイルはこちら)。復興支援策の全体像をまとめた第1報(PDFはこちら)、支援策の個別事例への影響をみたこの第2報、そして台湾と神戸・阪神大震災の復興支援策を比較検討した英語論文(PDFはこちら)と、3本の論文を出すことができ、これでようやく台湾の震災復興研究が一段落した形である。
 思い返してみれば、初めて現地に行ったのが震災後2年半経った2002年で、その後2006年までの間に計5回訪れていろいろな人に話を聞いて回った成果が、これらの論文となった。当初は現地の事情が全く分からなかったが、通っているうちに徐々に状況がつかめてきて、ポイントがなんとなくみえていった。言葉も全く分からなかったわけだが、優秀な通訳兼コーディネーターに助けられるうちに、基本的かつ重要な単語くらいは分かってきて、現地の文章もおおよそ内容が理解出来るくらいにはなった(その点漢字というのは便利である)。
 これが初めての海外研究だったわけだが、この経験があったからこそ、その後日本・台湾・韓国のまちづくり比較研究なるものもはじめられたし、アメリカの都市計画調査もそれほど不安を持たずに参加することが出来た。そういう意味で、私にとって一つのターニングポイントとなった研究であり、その成果を震災10周年のこの年までにまとめて公表出来たことは、大変感慨深いものがある。

 ちなみに、この論文の最後は、次のような形でまとめられている。
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これより被災集合住宅の再建支援では、体系的な支援策を出来るだけ早い段階で提示すること、最大の問題である資金面での支援を行うことが重要であり、後者については適切なスキームの構築が求められる。さらには、所有者が個別に転居し生活を再建していく中で、従前所有者が共同で再建を行うことの意味や、これを重点的に支援することの意義を、改めて検討する必要があるといえる。
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 改めてまとめれば、一点目は、復興の支援策はとにかく早い段階で体系的に示されるべき、ということである。台湾では、強力な支援策が組まれたものの、その提示が遅れたために、個々人が個別に生活及び住宅の再建を行ってしまったことで、マンション再建が進まなかったという側面がある。つまり、支援策は「後出し」ではダメなわけで、最初に一気に全体的なものを示すことが重要ではないか、と考えている。そういう意味では、震災がまだ起きていない今のうちに、起きた時の支援策のフレームを検討し、提示しておくことが必要だと思うのだが。そうすれば、非常時に何をすべきか/何が出来るかをあらかじめ考えておくことが出来るわけで。
 二点目は、資金面の問題への対処が必要だということ。台湾では、建物が再建されるまでのつなぎ融資と、不参加者分の権利買取費用の費用拠出を行っており、これが大きな効果を挙げている。日本の場合には、低利融資という形が主に取られたわけだが、それに加えてこのような資金問題を完成後に“延期”する施策が有効ではと思う。台湾の場合、義捐金を元にした基金だったので可能だったが、日本でこういうことをどう行なえるのか、こちらについても平常時から考えておく必要があるのではないか。
 最後は、むしろ再建しなくてもよいのではないか?という、逆説的な意見である。先にも書いたように、台湾では個々人が個別に住宅を確保するなどした結果、マンション再建の際に参加する居住者は少ない割合となってしまった。こういう元の建物の居住者の半数以下しか戻ってこない再建事業を、果たして「建替え」と呼んでよいのかどうか。それよりも、居住者の一部が残って同じ場所に「新築」したと考える方が、物事がスムーズになるようにも思えるのである。今の日本の仕組みは、あくまでも「建替え」を前提として組まれているが、これを逆の視点からみて、前の居住者による「新築」として考えた方が、よいのではということである。これも視点の大幅な変更を伴うから、震災が起きる前からじっくり考えておく必要があろう。
 などと考えると、神戸では被災後15年、台湾では被災後10年を迎え、時間が経って問題を全体的に客観的に捉えられる今だからこそ、将来起こりうる都市部の大震災を踏まえた上で、再建のあり方を考え始めなければならないのではないか。…と思うのだが、研究者や行政官というのは、目の前で起きている問題には飛びつくが、それを後からじっくり検証したりする視点には欠ける部分があるので、なかなかこういう動きは起きないのである。次の地震が起きてからでは、遅すぎるのだけれども。

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Dec 26, 2006

台湾より-地震の怖さを改めて思う

 調査で台湾に来ています。1999年に発生した集集地震(921地震)からの住宅・都市の復興過程の調査です。震災後7年が経ち、基本的には復興は終了しているのですが、まだ再建されていない集合住宅(マンション)や山間部の集落があるなど、いろいろと問題は残っているようです。今日は集合住宅などの再建を支援している財団法人に話を聞いて最近の状況について全体的に把握しました。明日以降は実際に再建を行った/行っているマンション住民組織に話を聞く予定で、そのあたりの実態と課題を調査した上で、被災集合住宅の再建策のあり方について検討する予定です。今後日本でも、阪神大震災のように都市直下型地震が起きたときには、多くのマンションが被害を受けるでしょう。特にマンションの数が多く、かつ古いものの割合が高い、東京で起きれば、どれだけの被害が出るかは分かりません。そのような時にどう対応すればよいのか、これは重要な課題だと思います。

 …などという調査で現地入りした当日に、台湾南部で大きな地震が起こりました。最南端の恒春沖で起きたもので、恒春で震度5、高雄市で震度4とのことです。我々のいる中部の台中でも、結構ゆれを感じました。現地のTVでは、屏東という町で民家3棟が倒壊して、2人が死亡、20数名が負傷という情報を流しています。母子が閉じこめられていて救出中との情報や、倒壊した建物から6名を救出したとの情報もありますし、また商店街で火災が発生している映像も映っています。ただし、TVの映像で見る限りでは、地域一帯の建物が複数まとめて倒壊したというのではなくて、一部の建物が個別に倒壊しているようですし、火災も個別の建物でまだ燃え広がっているというわけではなさそうです。
(なお上記情報は、現地語の分からない私が、TVの映像と漢字字幕を元に理解したもので、必ずしも正確ではありません)
 日本と同じく台湾も地震国なのですが、いつどこで地震が起こるか分からないというのを、改めて思い知らされました。現地の情報はまだ錯綜しているようですが、これ以上被害が広がらないことを祈るばかりです。

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Dec 14, 2006

被災マンションの安全性判定の課題

 とあるところからこのテーマでインタビューを受けた際に、発言内容を考えるためにまとめたメモに基づいています。

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 被災建物の安全性の判定に関しては、地震後に以下の2つが行われる。
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(1)応急危険度判定
・応急危険度判定士(行政の建築系職員及び民間の建築士等)が外観目視で実施
・余震等で発生する二次災害の防止のため、建物が安全に使用出来るかを調査
・危険(赤)、要注意(黄)、調査済(緑)の3分類
(2)建物被害認定調査
・行政職員(建築系以外も含む場合あり)が基本的に外観目視で実施
・被災者の支援等に係る罹災証明のため、建物の損傷の程度を調査
・全壊、大規模半壊、半壊、一部損壊の4区分
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 (1)は地震直後の使用に関する安全性の調査であるが、その後も引き続き居住出来るか、補修をすれば居住出来るかを判断するものではない。(2)は損傷の程度の調査であり、安全であるか、居住に耐えられるか、補修が可能かを判断するものではない。別々の方式・担当者によって行われるため、両者の結果が整合しないこともある。
 しかし、これらの判定・調査結果により、住民の復興に対する考え方が大きく左右されるのが実情であり(危険・全壊なのだから建て替えなければならない、など)、住民間での意見が食い違うことになる。また、これらの判定は、「区分所有法」及び「被災区分所有建物の再建等に関する特別措置法」で規定されている、以下のような建物の滅失の区分とは対応していない。よって、「全壊だから全部滅失」「大規模半壊だから2分の1超が滅失」と判断出来るわけではない。
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1.全部滅失 →敷地共有者の5分の4以上の賛成で建替えは可能
2.一部滅失 →区分所有者の5分の4以上の賛成で建替えは可能
  2-1.建物価格の2分の1超が滅失  →4分の3以上の賛成で復旧可能
  2-2.建物価格の2分の1以下が滅失 →過半数の賛成で復旧可能
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 阪神大震災の被災マンションでは、上記の公的な判定の他に、管理組合独自で建物の調査診断を行っているところも多い(各種アンケートによれば半数以上:主に旧マンションの施工会社や管理会社が実施)。
 しかし、地震直後に丁寧な調査を行うのは難しいこと、住民は出来るだけ早急に結果を求めること、及び建て替えるかもしれない建物に多額の調査費はかけられないことから、比較的簡易な調査にとどまっているものと思われる。つまり、安全性の判定は必ずしも適切な形では行われていない可能性があり、そのような不確実な情報に基づいて、住民は復興の方法を判断しなければならない状況にあったといえる。
 そのような中で、建物の工費解体が打ち出され、また建替えに対しては各種支援策が用意されたことによって、補修が可能だった物件でも建替えが行われる傾向にあった、とも言われている。

 建替えの場合、現在の建築基準法の基準に基づいた建物が建設されるので、新しい建物の安全性は(一応)担保される。しかし、補修の場合、選択した工事方法によって建物がどの程度安全となるか、それを明確に示す基準は存在しない。そのため、安全性の保証という観点から、補修よりも建替えに意向が向きやすい面がある。
 建替えと補修での「安全性」の問題は、資産価値という観点からも指摘出来る。建て替えられた建物であれば、新築物件として評価され、一般の新規分譲マンションと同様の資産評価がなされる。しかし補修の場合、どの程度安全なのかを示す明確な指標は存在せず、また補修された中古物件の資産価値を適正に評価する方法も確立していないため、「被災物件」とだけみなされて、資産価値は著しく低く算定される可能性もある。その結果、どうせ費用を負担するのであれば、資産価値が確実に確保出来る建替えの方がよいとの判断が働きやすい面もある。

 阪神大震災の再建(建替え)マンションでの合意形成過程をみると、被害が著しい事例では、初動期の建物調査や補修との比較検討は行われず、すぐに建替えを前提とした活動が始められている。被害が相対的に小さい事例では、初動期に「建替えか補修か?」の議論・検討が行われ、この部分に時間がかかる傾向がみられる。
 つまり、建物が明らかに「安全ではない」ならば、進むべき方向は明確であり、迷うことなく取り組みが始められるが、「安全かどうか分からない」場合には、この点の判断に時間がかかり、またその過程で「危険なので建替えを」「ある程度安全なので補修で」という建替え派/補修派という区分が生まれて、合意形成が困難になるといえる。
 建物が「安全ではない」状況は、比較的目に見えやすいものであり、住民にとっても理解・納得がしやすい。しかし「安全である」というのは、建物の中の見えない部分まで調べてはじめて言えることであり、また専門的な観点からの評価・判断となるため、住民には理解しにくいのが実情である。

 結局のところ、個々の住民、及びマンション住民全体が、いかにして「安全性」について納得出来るか、による。
 被災直後では、住民が各所に分散して避難しており、集まって十分が議論を行うのは難しい。また、住居の復興を急ぐ意味からは、時間をかけて判断をまとめていくというのも出来ない。そのような震災時という困難な状況において、多くの住民が納得出来る形で建物の「安全性」を判断し、その判断結果に基づいて、適切な復興の方向性を検討出来るような仕組みが求められる。専門的な観点から、建物の安全性を判断する方法や基準を示し、判断を実施する仕組みをつくることが必要となろう。
 しかし、そのような客観的な判断があっても、最終的にはその結果を住民が主観的に理解し受け入れなければ、復興に向けた取り組みは実現出来ない。阪神大震災の被災マンションでも、特定の建築士が行った建物診断及び復興費用の試算結果に納得しない住民が、別の建築士に再度調査を依頼したような事例もみられる。
 個々の住民、そしてマンション住民全体として、建物の安全性をどのように理解して納得するか、そのプロセスが問題になるといえる。その意味では、震災が起きる以前に、被災した場合の建物の「安全性」をどのような方法・手続で判断するかについて合意を取っておくという、「事前復興」的な考え方もあるかもしれない。

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Oct 23, 2006

ムラとヨソモノの関係:中山間地域の再生を巡って

 この一ヶ月間は、特に意図したわけでもないのだが、いわゆる中山間地域に足を運んでいる。最初は、富山県の利賀地域。平野部の市街地から山道を車で1時間ほど登った山村だが、演劇で有名になったところである。現在「構造改革特区」の研究をしていて、利賀が演劇関係の特区で活性化を図るという提案を出しており、その関係で現地を見に行ったのだが、山奥の村に古民家を活用した建物などの立派な劇場施設を持った公園が整備されており、演劇フェスの際には1万3千人が訪れたというから、すごいものである。

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(左:山に囲まれた旧利賀村 右:古民家とモダンな建築の組み合わせ)
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(左:新築された劇場 右:池に面した円形劇場も 設計はいずれも磯崎新)

 次に行ったのは、新潟県の越後妻有地域。アートトリエンナーレで知られる場所である。残念ながら開催期間中には行けなかったのだが、一部の作品はその後も残っていて、後から行っても楽しむことが出来る。訪れる人が少ない(ほとんどいない?)分、ゆっくりと作品に接することが出来て、それはそれでよかったかもしれない。2つの市町からなる広い範囲に作品が点在していて、ところどころに看板はあるものの、作品がどこにあるのかよく分からない。それを探しながら行くのも楽しく、見つけた時には安堵感とともに、「こんなところにこんなものが!」という意外性も味わえる。期間外なので結局は拠点施設を中心に巡ったのだが、それでもイベントの雰囲気は多少は感じることが出来た。

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(左:普通の川沿いに突然作品が 右:公衆トイレもアート)
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(左:拠点の一つ、キョロロ 右:同じく拠点のまつだい農舞台

 最後は新潟県中越地震の被災地域。震災2周年のシンポジウムに参加して復興に取り組む人達の話を聞き、見学会に参加して山古志などの現状をみて、また市街地で再建された住宅の様子なども見て回った。市街地では一見すると地震の跡が感じられず、住宅の建設もかなり進んでいる様子。しかし場所によっては、空き地が目立つところも残っている。山古志は1年前にも行ったが、その時と比べると道路や地盤の復旧がかなり進んでいて、あとは住宅や生活関連施設を整えていくというところか。とはいえ、崩落の後が至る所で見られており、落ち着いた山村の風景に戻るのはまだまだ先なのだろうと思う。

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(左:山から集団移転する人達の住宅地。建設が進む 右:新築物件も多いが、まだ空き地も目立つ川口駅前)
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(左:山古志役場より。去年に比べてかなり復旧している 右:山古志で建設中のモデル住宅と公営住宅)

 これらの異なる3つの地域に共通しているのは、「ムラ」の活性化や再生に、外からきた「ヨソモノ」が関わっているところである。利賀の場合、東京の劇団が来たことにはじまり、村の住民と一緒になって劇場施設や演劇フェスティバルをつくっていき、海外の劇団や国内外からのたくさんのお客が訪れて、今日のような演劇文化の村ができあがっている。越後妻有では、きっかけは地域活性化のための地元の発意だったようだが、そこに東京などから多くの芸術関係者が関わるようになり、関係者と国内外の多数のアーティストが地元に入っていき、地元住民と話し合う中で企画がまとめられていって、対象とする地域や関わるアーティスト・住民が回を重ねる毎に増えているという。山古志でも、県内外からのボランティアが仮設住宅での生活を支援し、東京などのプランナーが積極的に関わって、住民達との話し合いを繰り返しながら、山村部にあった低価格のモデル住宅や村の再生計画が練り上げられている。
 よく、まちづくりに必要なのは「若者、よそ者、ばか者」と言われるけれども、これらの3つのケースも、ヨソモノが入ってムラと関わることで、ムラの人々が元気になり、またヨソモノも新たな刺激を受けて、むらづくりが進むという例と言えるだろうか。ただ、ヨソモノが中に入る、特に人間のつながりの深いムラに入っていくのはなかなか難しいことで、お互いの価値観の違いなどもあって、最初のうちはいろいろと大変だったのだろうと思う。何度も顔を合わせ、一緒に時間を共有し、いろいろと話をかわすなかで、両者の関係がつくりだされ、ようやく何かが出来るような体制になるのだろう。

 こういうふうになるまでには、どうしても時間がかかる。だから、普通のまちづくりの場合、あせらずゆっくりと関係性を築いていく。利賀は劇団が入って30年かけてここまで来ているし、越後妻有は第1回の開催から6年間で大きくなっていって、今後10年20年をかけてやっていくことを考えているらしい。これに比べて、中越の震災復興の場合は難しい。望ましいまちづくりをするには、ある程度の時間をかけて醸成していくことが必要だけれど、地域や生活の再建を早く進めたいという部分が強いわけだから、のんびりはしていられない。そんななかでいかにして短期間で良好な関係性をつくりだしていけるか。そう考えるならば、中越でヨソモノが関わっていけるのは、比較的被害の小さかった集落か(シンポで報告された法末などか)、山古志のように被害が大きくて復興に時間がかかるところだけなのかもしれない。
 実際、すでに集団移転が決定し、平地での宅地開発・住宅再建が進む場所では、あまりまちづくり的な要素は感じられなかった。宅地はごくごく普通の建て売り住宅地となんら変わらないものであるし、住宅の建物も普通の一般的な住宅で、デザインの統一性も全くない。もしヨソモノが入り込んでいって、まちづくりという観点が少しでも計画に入っていれば、以前住んでいた山村での生活空間を活かす・継続させるという考えが出てきてしかるべきだと思うのだが。こういう場面では、生活の再建を急ぎたいムラの人と、外から新たなアイデアを持ち込むヨソモノの関係は、なかなか成立しにくいのだろうか。

 山古志などでも、実際は微妙なところもあるのかもしれない。例えば、再建する住宅地を実感としてつかむため、予定地に敷地割を描いて住宅の位置を示すようなワークショップが行われたとのことで、今回のシンポでその際のダイジェスト映像が紹介されたのだが、若干の違和感と不快感を感じてしまった。軽快な音楽に合わせて、学生達を中心とするスタッフがイベントを準備している様子が細かいカット割りで描かれ、途中若干煽動的な形で文字のメッセージが挟み込まれるのだが(しかも「エヴァ」的なフォントと文字割り)、どうも仕掛けるヨソモノ側の視点やセンスばかりが目立って、実際の主役であるはずのムラの人々の姿や思いが全く見えなかったからだ(ダイジェスト映像だったからかもしれないけれど)。「イベントとして楽しむ」というのは、ムラにはない新たな観点を持ち込むのだろうが、映像からはヨソモノ側の活動を意味づけることしか感じられず、もし実際のイベントもこういうセンスで行われたのだとしたら、このイベントを通じて有益な成果が得られたのだろうか?ムラの人との関係はうまくいったのだろうか?といらぬ心配を覚えてしまった。
(後日記:とあるニュースの中でこのイベントの様子が少し映っていたのだけれど、どうやらそういう雰囲気ではなかった様子。現場を観て自分の土地の状況が分かった分、怒りだした住民もいたようで、その意味では前述の映像から受けるイメージとは全く違ったようだ。となると、なぜああいうセンスで映像をまとめたのか、逆に理解に苦しむが)

 ヨソモノはムラにはない新しさを持ち込むことが必要だけれども、それがムラの人には理解出来ない行き過ぎたものだと、逆に反感を買うような気もしてしまう。そういう両者のぶつかり合いは、利賀や越後妻有でもあったのだろうが、これらでは時間をかけてゆっくりと解きほぐしてきたのだと思う。それに対して、震災復興という、時間が限られ、かつ精神的にも経済的にも余裕の少ない場合には、両者の思いが一旦ズレてしまうと、戻すのは難しいのではないか。その辺をどういうふうにやるべきか、難しいところである。

 …などということを、ムラに入っていくヨソモノでもない、さらに外側のヨソモノである私が言うのも、おこがましいことではあるけれども。

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Feb 19, 2006

平時と緊急時をつなぐ意味での復興研究のあり方

 2002年2月発行の「都市計画学会防災・復興研究委員会・2001年度活動報告書」に掲載された文章です。
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復興研究の意味とは
 今回の連続セミナーの内容は、阪神・淡路大震災の復興に直接関わり、その進行を身近で見てきた方々からの講演であり、直接の関わりを持たなかった私には非常に興味深いものであった。大きくいえば、垂水氏の話は被災という状況の下での決定・判断の難しさについてであり、平山氏の話はそのような中で行われた決定・判断の結果として生じた現状の評価についてであったと整理できるだろう。
 震災から7年が過ぎ、復興もある程度進んだ今日において、その成果を客観的に検証し、今後の知見とする作業は重要である。しかし、震災後の緊急的な状況において、目の前の問題をとにかくクリアしなければならないという条件下での決定・判断を、現在の平時の感覚で、かつその緊急事態を経験していないものが、どこまで検証・評価できるものなのだろうか。さらには、検証・評価した知見をもとに、今後起こりうる震災復興の際に行うべき対応・活動を整理しておいたところで、現実に緊急的状況に置かれた際にそれらがどこまで役に立つものなのだろうか。
 垂水氏は講演の中で「過去の冷静な評価が必要だが、冷静すぎても実態とはずれてしまう」という内容のことを述べていた。また、「事前の復興計画はあったが、十分身についていなかった」「震災の経験は継承しにくく、常に不意打ちにならざるを得ない」とも述べていたように思う。復興の当事者からの、このような発言の持つ意味は大きい。こういう発言を考えたときに、我々は研究として何をすべきなのだろうか。このようなことはすでに防災・復興を専門とする研究者の中では語り尽くされているのかもしれないが、新たにこの分野に関わったものとして、自分なりに考えておきたい。

平時と緊急時との調整・整合
 今回の講演を聞いて思ったのは、平時・通常時に行われる都市・住宅政策と、緊急時の政策との関係をいかに整合しうるか?ということであった。都市・住宅政策というのはそもそも長い年月をかけて行われるものであり、長期的な観点から都市や住宅ストックの状況を鑑みた上で、その改善に資するように現時点での政策を考えなければならない。近年では経済・景気の再生目的から目先の利益で語られることも多いが、本来は将来時点でのあるべき姿を考えた上で、それに近づけるために、現時点で最もよいと思われる舵取りを行うというものであろう。
 しかし、復興という緊急時の政策は、そのような長期的観点からみることは難しい。例えば住宅について考えれば、仮設住宅はもちろんのこと、将来ストックとなる復興住宅についても、目の前にあるニーズに対応するには出来るだけ早急な対応が必要となるため、それらが今後数十年にわたって住宅政策にどのような影響を及ぼすかを考えながら判断を下すのは難しいであろう。平山氏は講演の中で、復興政策によって都市の構造や住宅所有の構造が変わってしまったことを示していたが、仮に結果として将来に大きな問題を残すようなものであっても、復興という緊急事態の中でとりうる最適解であったとすれば、やむを得ないということもできる。
 平山氏は、関東大震災や戦災復興では、復興をしながらも次の時代をつくり出すという目標があったと述べていた。確かに過去には復興の過程の中で新しい計画技術・思想が生まれて試され、それが次代の都市計画を担ったという側面もある。この意味では、緊急時の厳しい状況を克服すべく今までにはなかった新しい発想が生み出され、それが従来の平時の考え方とは整合しなかったとしても、その後のあり方を変えていくという流れも考えられる。しかし、神戸ではそのような目標はなく、「ただしんどいだけ」だったという。平時の政策の流れからも切り離されたが、緊急時にこそ行える既存の枠を超えた対応もなしえなかった。なぜそのようになってしまったのだろうか。この場面においては、悪しき意味での平時との整合が図られたのかもしれない。

求められる研究成果とは何か
 平時における長期的な観点から求められる政策と、緊急時における短期的な必要性から選択される政策とは、その評価の観点が大きく異なるのであり、このギャップをいかに扱い、つなぎうるかが研究の課題といえよう。むろん、単純にどちらかをどちらかに合わせればよいというものではない。緊急時の判断においても平時の長期的な目的・目標を何らかの形で担保出来るようなあり方を考える必要があり、また逆に平時の政策判断においても、突然の被災を織り込むような、リスク管理的な観点を考える必要があるのだろう。さらには緊急時にみられた新たな対応があれば積極的に評価し、その意味を平時の政策にも取り入れていく姿勢が必要であろう。
 このような観点からすれば、復興研究に求められる成果としては、まずは復興時に取りうる様々な政策オプションとその(短期的)効果の提示があろう。復興時に何をすべきとの最適解は被災状況によって異なるし、事前に示されていても緊急時には必ずしもそうはいかない。取りうる方法を多数用意し、そこから選択出来るようにしておくことしか出来ないのではないか。合わせて、各政策オプションを選択した際に将来時点で起きうる影響や変化の整理も挙げられる。政策としてなにがなしうるかとともに、そうした時に長期的にみてどうなるかをセットで示す枠組みが必要ではないか。つまりは、平時に選択肢とともにその判断材料となる情報を用意しておき、実際の判断・決定は緊急時にその現場にいる人に委ねる、ということになろう。
 また、当初平時に想定していた都市・住宅政策の目標と、震災復興によって変化した方向性との比較評価というものも必要であろう。被災及びその後の復興で当初の目的とどこまで・どのようにずれるのかを示すことで、ずれのリスクも織り込んだ政策判断の方法論がみえてくるかもしれない。また、復興における「特殊解」の収集と、その効果や意味の一般化作業も重要な課題と思われる。

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災害復興の国際比較研究の困難性

2002年2月発行の「都市計画学会防災・復興研究委員会・2001年度活動報告書」に掲載した文章です。
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 今回のワークショップでは、「復興」「研究」の「国際比較」について議論したわけであるが、各先生の講演及び議論を受けての印象としては、その可能性が見えたというよりも、困難性が改めて浮き彫りになったように感じた。
 まず「復興」であるが、突然起きた予期せぬ災害によって受けた被害からの再建のことであり、非常に特殊な状況下における、緊急的に行われる対応のことであろう。よって、災害の内容・度合・発生地域によってそのあり方はそれぞれ異なり、一度として同じ形のものはあり得ない。そこで行われる活動は、言うなれば全てが「個別解」である。
 この復興について「研究」するわけであるが、科学的な研究というのは、個々の事実を細かく分解し、個別性を出来る限り排除して共通する要素を取り出し、一般的に成立する法則・理論を見いだすという行為である。つまりは「一般解」を見いだすものといえるが、復興という非常に個別性・特殊性が高いものをその対象とした際に、どこまで一般化が可能なのか?という不安がつきまとう。
 そのうえ「国際」である。国が違えば、前提条件となる社会状況や制度、人々の意識もそれぞれに異なる。そこに災害の特性によって生じる個別性、緊急時の対応という特殊性がのってくる。災害からの復興は、同じ国内であっても地域や時代によってそれぞれ異なるというのに、である。これを解きほぐして「比較」するには二重・三重の壁が待ちかまえており、研究としてどこまで「一般解」が出しうるのか、課題は大きい。
 さらには、城所先生曰く、都市計画分野には国際比較研究を体系的に行うためのツールがない。経済学や社会学など、他分野のものを使うほかはないという。手持ちの道具はなく、借り物で高く厚い壁に挑まなければいけないとは、なんと困難な作業であろうか。

 このように思ってしまうのは、私が復興研究の分野に足を踏み入れたばかりであり、まだ右も左も分からないからなのかもしれない。でも、私のみるところでは、分かりやすい地図はまだ見あたらず、使いやすい便利な道具も見つからないように思える。
 防災は都市計画の根本にある目的であり、また斎木先生の言うように、復興というのは通常の都市更新が圧縮されたものといえる。その意味では、防災・復興研究は全ての都市計画研究のベースに位置づけられるもので、そういう重要な部分において(私のような部外者にも分かる)共通の情報や道具がはっきりしていないというのは問題だろう。ここを整理・構築すること。ここにこそ、本研究委員会の存在意義があるのではないだろうか。

 個別解の積み重ねやその解釈に重点を置き、共通の情報や道具を整理・構築しないというのは、実は都市計画研究一般にみられる傾向のようにも思える。この点を再考する意味からも、本研究委員会の活動に(自らのことながら)期待したい。

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