Jul 24, 2007

まちづくりで出来ること/出来ないこと

 学会委員会の定例会で、とある住宅地での住環境保全の取り組みについて話を聞く。数十年前に開発された古い住宅地で、居住開始直後に住民発意で建築協定を締結し、住環境の保全を行って来たのだが、近年地区計画に移行させたという話。しかし、地区計画にしたことで、建築協定の時には出来ていた地域住民の委員会による狭義調整が難しくなり、新たに条例に基づいた地区まちづくり計画の適用を考えているとのこと。建築協定が地区計画に移行するのが一つの「発展」とも思われているが、必ずしもそうではないようで、仕組みの使い分け・組み合わせが求められるようである。今後は景観法に基づく仕組みも含めて、その辺を考えていくことが求められるのだろう。
 その会には都市計画研究の大御所の先生もいらっしゃっていて、昔から当の住宅地をご存知とのことで、いろいろと面白い話が聞けたのだが、その中でも一つとても印象に残った言葉があった。要約すれば、こんな内容になるだろうか −従来型の「都市計画」へのアンチテーゼとして「まちづくり」の必要性が言われてきて、今は都市計画よりもまちづくりの方が(地域の住環境づくりでは)関心が持たれているが、まちづくりで全てが出来るわけではない。もともとの(ハード的な)住環境の質が良くなければ、(ソフトな)まちづくりをいくらやってもまちはよくならないのであり、そのまちづくりでは出来ない部分をきっちりとやるのが、都市計画の役割なのだ− と。
 住民主体の地域まちづくりに関心が移る中で、都市計画の意味づけが若干曖昧になりつつあるところもあるが、そんな中でもやはり都市計画が担うべき部分はあるのであり、またそこをきっちりとやるのが専門家の役割なのだ、ということだと理解した。目の前の社会の動きを追う中で、ついつい見逃されがちな本質的なポイントを指摘して発言する。これこそ学者がやるべき仕事なのだろう。さすが…というと失礼になってしまうが、改めて忘れていたことを思い出させていただいたような気がする。

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Oct 23, 2006

ムラとヨソモノの関係:中山間地域の再生を巡って

 この一ヶ月間は、特に意図したわけでもないのだが、いわゆる中山間地域に足を運んでいる。最初は、富山県の利賀地域。平野部の市街地から山道を車で1時間ほど登った山村だが、演劇で有名になったところである。現在「構造改革特区」の研究をしていて、利賀が演劇関係の特区で活性化を図るという提案を出しており、その関係で現地を見に行ったのだが、山奥の村に古民家を活用した建物などの立派な劇場施設を持った公園が整備されており、演劇フェスの際には1万3千人が訪れたというから、すごいものである。

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(左:山に囲まれた旧利賀村 右:古民家とモダンな建築の組み合わせ)
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(左:新築された劇場 右:池に面した円形劇場も 設計はいずれも磯崎新)

 次に行ったのは、新潟県の越後妻有地域。アートトリエンナーレで知られる場所である。残念ながら開催期間中には行けなかったのだが、一部の作品はその後も残っていて、後から行っても楽しむことが出来る。訪れる人が少ない(ほとんどいない?)分、ゆっくりと作品に接することが出来て、それはそれでよかったかもしれない。2つの市町からなる広い範囲に作品が点在していて、ところどころに看板はあるものの、作品がどこにあるのかよく分からない。それを探しながら行くのも楽しく、見つけた時には安堵感とともに、「こんなところにこんなものが!」という意外性も味わえる。期間外なので結局は拠点施設を中心に巡ったのだが、それでもイベントの雰囲気は多少は感じることが出来た。

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(左:普通の川沿いに突然作品が 右:公衆トイレもアート)
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(左:拠点の一つ、キョロロ 右:同じく拠点のまつだい農舞台

 最後は新潟県中越地震の被災地域。震災2周年のシンポジウムに参加して復興に取り組む人達の話を聞き、見学会に参加して山古志などの現状をみて、また市街地で再建された住宅の様子なども見て回った。市街地では一見すると地震の跡が感じられず、住宅の建設もかなり進んでいる様子。しかし場所によっては、空き地が目立つところも残っている。山古志は1年前にも行ったが、その時と比べると道路や地盤の復旧がかなり進んでいて、あとは住宅や生活関連施設を整えていくというところか。とはいえ、崩落の後が至る所で見られており、落ち着いた山村の風景に戻るのはまだまだ先なのだろうと思う。

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(左:山から集団移転する人達の住宅地。建設が進む 右:新築物件も多いが、まだ空き地も目立つ川口駅前)
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(左:山古志役場より。去年に比べてかなり復旧している 右:山古志で建設中のモデル住宅と公営住宅)

 これらの異なる3つの地域に共通しているのは、「ムラ」の活性化や再生に、外からきた「ヨソモノ」が関わっているところである。利賀の場合、東京の劇団が来たことにはじまり、村の住民と一緒になって劇場施設や演劇フェスティバルをつくっていき、海外の劇団や国内外からのたくさんのお客が訪れて、今日のような演劇文化の村ができあがっている。越後妻有では、きっかけは地域活性化のための地元の発意だったようだが、そこに東京などから多くの芸術関係者が関わるようになり、関係者と国内外の多数のアーティストが地元に入っていき、地元住民と話し合う中で企画がまとめられていって、対象とする地域や関わるアーティスト・住民が回を重ねる毎に増えているという。山古志でも、県内外からのボランティアが仮設住宅での生活を支援し、東京などのプランナーが積極的に関わって、住民達との話し合いを繰り返しながら、山村部にあった低価格のモデル住宅や村の再生計画が練り上げられている。
 よく、まちづくりに必要なのは「若者、よそ者、ばか者」と言われるけれども、これらの3つのケースも、ヨソモノが入ってムラと関わることで、ムラの人々が元気になり、またヨソモノも新たな刺激を受けて、むらづくりが進むという例と言えるだろうか。ただ、ヨソモノが中に入る、特に人間のつながりの深いムラに入っていくのはなかなか難しいことで、お互いの価値観の違いなどもあって、最初のうちはいろいろと大変だったのだろうと思う。何度も顔を合わせ、一緒に時間を共有し、いろいろと話をかわすなかで、両者の関係がつくりだされ、ようやく何かが出来るような体制になるのだろう。

 こういうふうになるまでには、どうしても時間がかかる。だから、普通のまちづくりの場合、あせらずゆっくりと関係性を築いていく。利賀は劇団が入って30年かけてここまで来ているし、越後妻有は第1回の開催から6年間で大きくなっていって、今後10年20年をかけてやっていくことを考えているらしい。これに比べて、中越の震災復興の場合は難しい。望ましいまちづくりをするには、ある程度の時間をかけて醸成していくことが必要だけれど、地域や生活の再建を早く進めたいという部分が強いわけだから、のんびりはしていられない。そんななかでいかにして短期間で良好な関係性をつくりだしていけるか。そう考えるならば、中越でヨソモノが関わっていけるのは、比較的被害の小さかった集落か(シンポで報告された法末などか)、山古志のように被害が大きくて復興に時間がかかるところだけなのかもしれない。
 実際、すでに集団移転が決定し、平地での宅地開発・住宅再建が進む場所では、あまりまちづくり的な要素は感じられなかった。宅地はごくごく普通の建て売り住宅地となんら変わらないものであるし、住宅の建物も普通の一般的な住宅で、デザインの統一性も全くない。もしヨソモノが入り込んでいって、まちづくりという観点が少しでも計画に入っていれば、以前住んでいた山村での生活空間を活かす・継続させるという考えが出てきてしかるべきだと思うのだが。こういう場面では、生活の再建を急ぎたいムラの人と、外から新たなアイデアを持ち込むヨソモノの関係は、なかなか成立しにくいのだろうか。

 山古志などでも、実際は微妙なところもあるのかもしれない。例えば、再建する住宅地を実感としてつかむため、予定地に敷地割を描いて住宅の位置を示すようなワークショップが行われたとのことで、今回のシンポでその際のダイジェスト映像が紹介されたのだが、若干の違和感と不快感を感じてしまった。軽快な音楽に合わせて、学生達を中心とするスタッフがイベントを準備している様子が細かいカット割りで描かれ、途中若干煽動的な形で文字のメッセージが挟み込まれるのだが(しかも「エヴァ」的なフォントと文字割り)、どうも仕掛けるヨソモノ側の視点やセンスばかりが目立って、実際の主役であるはずのムラの人々の姿や思いが全く見えなかったからだ(ダイジェスト映像だったからかもしれないけれど)。「イベントとして楽しむ」というのは、ムラにはない新たな観点を持ち込むのだろうが、映像からはヨソモノ側の活動を意味づけることしか感じられず、もし実際のイベントもこういうセンスで行われたのだとしたら、このイベントを通じて有益な成果が得られたのだろうか?ムラの人との関係はうまくいったのだろうか?といらぬ心配を覚えてしまった。
(後日記:とあるニュースの中でこのイベントの様子が少し映っていたのだけれど、どうやらそういう雰囲気ではなかった様子。現場を観て自分の土地の状況が分かった分、怒りだした住民もいたようで、その意味では前述の映像から受けるイメージとは全く違ったようだ。となると、なぜああいうセンスで映像をまとめたのか、逆に理解に苦しむが)

 ヨソモノはムラにはない新しさを持ち込むことが必要だけれども、それがムラの人には理解出来ない行き過ぎたものだと、逆に反感を買うような気もしてしまう。そういう両者のぶつかり合いは、利賀や越後妻有でもあったのだろうが、これらでは時間をかけてゆっくりと解きほぐしてきたのだと思う。それに対して、震災復興という、時間が限られ、かつ精神的にも経済的にも余裕の少ない場合には、両者の思いが一旦ズレてしまうと、戻すのは難しいのではないか。その辺をどういうふうにやるべきか、難しいところである。

 …などということを、ムラに入っていくヨソモノでもない、さらに外側のヨソモノである私が言うのも、おこがましいことではあるけれども。

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Apr 05, 2006

アートはまちを変えられるのか

 先日の阿佐ヶ谷団地での花見には、写真家やグラフィックデザイナーなど、芸術関係を専門とする方々が多く集まっていた。この団地に写真を取りに来たり、この団地が気に入って足を運ぶうちに、花見の主催者と知り合いになったということだったが、こういう古い団地のファンにはアート系の人が多いように思う。団地の建物・敷地の設計や積み重ねてきた歴史を面白いと感じるとともに、それらを活かしつつ自分で手を加えて新たな息吹を吹き込もうということらしく、住みたいと希望する人は結構いるらしい。
 こういう現象は、都心の古いビル・マンションのリノベーションでもみられるし(例えば東京R不動産の手がける物件とか)、台東区谷中や墨田区向島などの古い密集系市街地でも、古い町家を借りて住居兼スタジオにしたり個性的なカフェにしたりする例が多くなっている。後者でのまちづくりでは、アートをまち全体に展開するイベントを開催して、まちに人を呼び込もうとする活動なども行われているし、アートを通じてまちを変えていこう・活性化させようということなのだと思う。
 とはいえ、個々の建物や住戸はそのようにして新しく変わっているが、まち全体が変わっているかというと、まだまだそうはなっていないようである。前出の阿佐ヶ谷団地も、住戸を個性的に変えている住人がいて、また今のまま住みたいという人がいるのも関わらず、敷地全体は建て替えられようとしているし、谷中とか向島でもまち全体として古い建物を資源として活かそうとなっているかというと、そうとはいえず、古き良き建物が所有者の手であるいは購入した人の手で壊されているのが実情だろう。
 アートを通じてまちに住み込む人がいるとはいっても、まだまだ特殊例・個別解であって、そういう発想に基づいてまち全体をつくっていこうとはなかなかならないのだろう。これら個別の事例はある意味で見捨てられた空間を再活用しようとするようなもの、いわばゲリラ的な動きともいえ、部分部分で個別的に行われているうちはよいが、それを全体に広げていくとなると、また違った論理が必要になってくるのだと思う。それこそ、古い建物や狭い路地を残すことになるのだから、防災性や交通の利便性などの一般的な都市計画の論理と対立するわけであって。個々人が(良い意味で)好き勝手にやっている活動の論理を、まち全体の空間構成の論理とどう整合させるか、その辺が見えてこないと、まち全体をアートな発想で変えていくという方向にはいかないのかもしれない。

 などと考えると思い起こされるのが、下北沢の開発に関する問題である(ここここを参照)。都市計画道路を通して利便性の高いまちにしようとする(行政のというよりは)従来型の都市空間構成の論理と、ごみごみしたまちだからこそ文化が生まれるのだという住民やアート系の人達の論理とが真っ向から対立している。特にアート系の動きが大きいのは興味深い点で、様々なミュージシャンやアーティストが発言しているし、また雑誌「SWITCH」がこの問題を特集していたのにも驚かされた。一つのまちを巡ってここまでアーティストが動くのも珍しいのではないか。
 この問題は、単に道路が通るかどうかというだけではなく、従来型の空間構成・経済の論理と生活・文化の論理とが対立しているのであって、それこそまちづくり一般や古い建物の保全、マンション建替えに至るまでに通底する、普遍的な問題のように思えるのである。こういう問題をどう解いていくのか、今後も注目していきたい。

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Jan 20, 2006

住まいづくりのコミュニティ・ファンド

 2日続けて住まいとお金に関する会合が続く。今日は早稲田都市計画フォーラムコミュニティネットワーク協会が共催のセミナーで、テーマは「コミュニティ・ファンド」。普通の市場原理では成り立たせるのが難しい、社会的な意味を持つ事業に対して、趣旨に賛同する市民からの出資を集めてファンドをつくり、ここからの資金を投入することで事業を実現しようというものである。市民風車をつくるためのファンドがすでに動いているほか、まちづくり系でも京町家の再生や中心市街地の活性化、福祉住宅などを対象にした動きがあるという。
 こういう話は、参加しているNPOでも議論して仕組みを考えたのであるが、住まいの場合にはスキームづくりが難しい。例に挙がった市民風車の場合、建設費用の一定割合は国からの助成があり、発電した電気は15年間に渡って電力会社が買い取るという契約で、風車の耐用年数は20年程度だという。つまり、集めるべき金額は必要額の半分以下で、かつ建設費用を償却すべき期間と同等の長期に渡って安定的な収入が確保されているわけで、資金計画は立てやすく、ファンドの出資に伴うリスクも少ない。一方で住まいづくりの場合、集めなければならない額はより多く、入居者が確実に確保できるかの見通しも立たず、造った建物は30年・50年もしくは100年という長期に渡って成り立たせなければならない。このように、事業に伴うリスクが大きくなれば、ファンドの計画的な運用は難しくなり、その分配当できる利子も少なくならざるを得ない。趣旨に賛同して出資するファンドなんだから、配当はあまり考えなくてもよいという見方もあるけれども、ファンドである以上やはり一定の配当は計画されなければならないであって、その意味で住まいの場合は課題が多い。
 住まいの場合の問題はまだあって、住まいをつくることによる「効用」が受けられる人が、どうしても限られてしまうのである。環境に関する事業の場合には、ファンドに出資する人は当該事業が行われる場所から離れていても、「環境によいことに投資した」という満足感=効用が得られるけれども、住まいの場合には効用を受けるのは直接その住まいに住む人が中心であって、地域にとって必要という意味で周辺の人からの出資は得られたとしても、その他の全国各地の人々から広く出資を集めるのは難しいから、集められる資金の額も少なくならざるを得ない。
 集めなければならない額は大きく、しかし集められる額は小さい。住まいづくりのためのコミュニティ・ファンドを取り巻く環境はなかなか厳しそうだが、新たな住まいの選択肢を広げる意味から、今後の可能性を考えていきたい。

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