この一ヶ月間は、特に意図したわけでもないのだが、いわゆる中山間地域に足を運んでいる。最初は、富山県の利賀地域。平野部の市街地から山道を車で1時間ほど登った山村だが、演劇で有名になったところである。現在「構造改革特区」の研究をしていて、利賀が演劇関係の特区で活性化を図るという提案を出しており、その関係で現地を見に行ったのだが、山奥の村に古民家を活用した建物などの立派な劇場施設を持った公園が整備されており、演劇フェスの際には1万3千人が訪れたというから、すごいものである。

(左:山に囲まれた旧利賀村 右:古民家とモダンな建築の組み合わせ)

(左:新築された劇場 右:池に面した円形劇場も 設計はいずれも磯崎新)
次に行ったのは、新潟県の越後妻有地域。アートトリエンナーレで知られる場所である。残念ながら開催期間中には行けなかったのだが、一部の作品はその後も残っていて、後から行っても楽しむことが出来る。訪れる人が少ない(ほとんどいない?)分、ゆっくりと作品に接することが出来て、それはそれでよかったかもしれない。2つの市町からなる広い範囲に作品が点在していて、ところどころに看板はあるものの、作品がどこにあるのかよく分からない。それを探しながら行くのも楽しく、見つけた時には安堵感とともに、「こんなところにこんなものが!」という意外性も味わえる。期間外なので結局は拠点施設を中心に巡ったのだが、それでもイベントの雰囲気は多少は感じることが出来た。

(左:普通の川沿いに突然作品が 右:公衆トイレもアート)

(左:拠点の一つ、キョロロ 右:同じく拠点のまつだい農舞台)
最後は新潟県中越地震の被災地域。震災2周年のシンポジウムに参加して復興に取り組む人達の話を聞き、見学会に参加して山古志などの現状をみて、また市街地で再建された住宅の様子なども見て回った。市街地では一見すると地震の跡が感じられず、住宅の建設もかなり進んでいる様子。しかし場所によっては、空き地が目立つところも残っている。山古志は1年前にも行ったが、その時と比べると道路や地盤の復旧がかなり進んでいて、あとは住宅や生活関連施設を整えていくというところか。とはいえ、崩落の後が至る所で見られており、落ち着いた山村の風景に戻るのはまだまだ先なのだろうと思う。

(左:山から集団移転する人達の住宅地。建設が進む 右:新築物件も多いが、まだ空き地も目立つ川口駅前)

(左:山古志役場より。去年に比べてかなり復旧している 右:山古志で建設中のモデル住宅と公営住宅)
これらの異なる3つの地域に共通しているのは、「ムラ」の活性化や再生に、外からきた「ヨソモノ」が関わっているところである。利賀の場合、東京の劇団が来たことにはじまり、村の住民と一緒になって劇場施設や演劇フェスティバルをつくっていき、海外の劇団や国内外からのたくさんのお客が訪れて、今日のような演劇文化の村ができあがっている。越後妻有では、きっかけは地域活性化のための地元の発意だったようだが、そこに東京などから多くの芸術関係者が関わるようになり、関係者と国内外の多数のアーティストが地元に入っていき、地元住民と話し合う中で企画がまとめられていって、対象とする地域や関わるアーティスト・住民が回を重ねる毎に増えているという。山古志でも、県内外からのボランティアが仮設住宅での生活を支援し、東京などのプランナーが積極的に関わって、住民達との話し合いを繰り返しながら、山村部にあった低価格のモデル住宅や村の再生計画が練り上げられている。
よく、まちづくりに必要なのは「若者、よそ者、ばか者」と言われるけれども、これらの3つのケースも、ヨソモノが入ってムラと関わることで、ムラの人々が元気になり、またヨソモノも新たな刺激を受けて、むらづくりが進むという例と言えるだろうか。ただ、ヨソモノが中に入る、特に人間のつながりの深いムラに入っていくのはなかなか難しいことで、お互いの価値観の違いなどもあって、最初のうちはいろいろと大変だったのだろうと思う。何度も顔を合わせ、一緒に時間を共有し、いろいろと話をかわすなかで、両者の関係がつくりだされ、ようやく何かが出来るような体制になるのだろう。
こういうふうになるまでには、どうしても時間がかかる。だから、普通のまちづくりの場合、あせらずゆっくりと関係性を築いていく。利賀は劇団が入って30年かけてここまで来ているし、越後妻有は第1回の開催から6年間で大きくなっていって、今後10年20年をかけてやっていくことを考えているらしい。これに比べて、中越の震災復興の場合は難しい。望ましいまちづくりをするには、ある程度の時間をかけて醸成していくことが必要だけれど、地域や生活の再建を早く進めたいという部分が強いわけだから、のんびりはしていられない。そんななかでいかにして短期間で良好な関係性をつくりだしていけるか。そう考えるならば、中越でヨソモノが関わっていけるのは、比較的被害の小さかった集落か(シンポで報告された法末などか)、山古志のように被害が大きくて復興に時間がかかるところだけなのかもしれない。
実際、すでに集団移転が決定し、平地での宅地開発・住宅再建が進む場所では、あまりまちづくり的な要素は感じられなかった。宅地はごくごく普通の建て売り住宅地となんら変わらないものであるし、住宅の建物も普通の一般的な住宅で、デザインの統一性も全くない。もしヨソモノが入り込んでいって、まちづくりという観点が少しでも計画に入っていれば、以前住んでいた山村での生活空間を活かす・継続させるという考えが出てきてしかるべきだと思うのだが。こういう場面では、生活の再建を急ぎたいムラの人と、外から新たなアイデアを持ち込むヨソモノの関係は、なかなか成立しにくいのだろうか。
山古志などでも、実際は微妙なところもあるのかもしれない。例えば、再建する住宅地を実感としてつかむため、予定地に敷地割を描いて住宅の位置を示すようなワークショップが行われたとのことで、今回のシンポでその際のダイジェスト映像が紹介されたのだが、若干の違和感と不快感を感じてしまった。軽快な音楽に合わせて、学生達を中心とするスタッフがイベントを準備している様子が細かいカット割りで描かれ、途中若干煽動的な形で文字のメッセージが挟み込まれるのだが(しかも「エヴァ」的なフォントと文字割り)、どうも仕掛けるヨソモノ側の視点やセンスばかりが目立って、実際の主役であるはずのムラの人々の姿や思いが全く見えなかったからだ(ダイジェスト映像だったからかもしれないけれど)。「イベントとして楽しむ」というのは、ムラにはない新たな観点を持ち込むのだろうが、映像からはヨソモノ側の活動を意味づけることしか感じられず、もし実際のイベントもこういうセンスで行われたのだとしたら、このイベントを通じて有益な成果が得られたのだろうか?ムラの人との関係はうまくいったのだろうか?といらぬ心配を覚えてしまった。
(後日記:とあるニュースの中でこのイベントの様子が少し映っていたのだけれど、どうやらそういう雰囲気ではなかった様子。現場を観て自分の土地の状況が分かった分、怒りだした住民もいたようで、その意味では前述の映像から受けるイメージとは全く違ったようだ。となると、なぜああいうセンスで映像をまとめたのか、逆に理解に苦しむが)
ヨソモノはムラにはない新しさを持ち込むことが必要だけれども、それがムラの人には理解出来ない行き過ぎたものだと、逆に反感を買うような気もしてしまう。そういう両者のぶつかり合いは、利賀や越後妻有でもあったのだろうが、これらでは時間をかけてゆっくりと解きほぐしてきたのだと思う。それに対して、震災復興という、時間が限られ、かつ精神的にも経済的にも余裕の少ない場合には、両者の思いが一旦ズレてしまうと、戻すのは難しいのではないか。その辺をどういうふうにやるべきか、難しいところである。
…などということを、ムラに入っていくヨソモノでもない、さらに外側のヨソモノである私が言うのも、おこがましいことではあるけれども。
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