Mar 23, 2009

「たまゆら」火災に思う

 群馬県渋川市の老人施設「静養ホームたまゆら」で火災が発生し、入所者が亡くなるという事故が起きた。この施設名・団体名をニュースでみたとき、聞いたことがある…と思って調べてみたら、施設を運営していたのは、ここ数年行っている「住宅に関連した活動を行うNPO調査」の対象団体だった。2005年に実施したアンケートにも回答があったし、その後群馬県庁に行った際には事業報告書なども収集していたのであった。
 で、改めて手元の事業報告書をみてみると、運営団体は1999年の設立で、当初は「(高齢者)療養のための温浴施設」を運営しており、無料体験温浴を進めていたが、その後2003年に滞在用の部屋20室を設置して「滞在型療養施設」へと方針を転換し、さらに2004年には「生活保護者の居住施設」へと変わっている。とみると、あくまでも推測ではあるが、当初の「療養施設」ではうまく話が進まず、方針を転換して生活保護者施設に落ち着いた…というふうにもみえる。そういう意味では、建物はそもそも「高齢者の居住施設」としてつくられてはいないし、職員も介護などを前提とした人達ではないようにも思えるのである。ちなみに施設の所有者はNPO自体で、施設の入手のためとみられる借入金も数千万円ほどあるし、経営を成り立たせるには生活保護者を対象に、しかも東京から呼び寄せるしかなかったのかな、という気もする。
 そういう意味では、介護が主目的のNPOが介護事業の延長的にやっている、無届け有料老人ホームともまた違ったものであって、この事故だけをもって「NPOはけしからん」「無届けは問題」と判断されるのは、どうかなと思う部分もある。NPOの中にも、そして無届け施設の中にも、きちんとしたものもあればそうでないものもあるのであり、それを一括りで問題だとする反応はどうかとも思う。
 また、今回の物件は問題があったとしても、あのようなものを「施設」とみるか「住宅」とみるかでも、対応の考え方・仕方が違うのではないだろうか。「施設」とみなして全て申請・登録させて公的チェック、というのは、個人的にはなにか違うような気がしてならない。むしろ「住宅」の延長として位置づけて、公的規制というよりは、市場による適切なチェックが機能するような方向にならないものだろうか。公的に把握してコントロールしたいのならば、行政側も一定の責任を持つべきだし、その分公的な資金を出すなどの対応も必要ではないかと思うのだが。

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Oct 22, 2007

住宅は売り買いすべきものか

 最近のニュースでは、サブプライム問題が引き起こす世界経済への影響が繰り返し報道されている。「サブプライム」というと響きがよいが、実のところは「住宅ローン」問題である。アメリカで低所得向けに高金利で貸し出していた住宅ローンがデフォルト(焦げ付き)して、このローンを組み込んだ証券の価値が下がってしまい、経済に影響が出ているもの、と理解している(が、正しいだろうか)。ニュースでは、引き起こされた世界経済への影響の方ばかりが報道されて、その元凶である住宅ローンそのものの実態や問題はあまり扱われていないのだが、そこの部分を考えてみるといろいろと考えさせられるものがある。
 まずは、返済能力の十分ではない人に対して、ローンを提供して住宅を購入させるということが、果たしてよいのかどうかということ。返済能力が低くデフォルトする可能性がある人であっても、その分のリスクを見込んでサブプライムな高利子をつければ、ローン事業自体は成り立つはずだったのだろう。貸す側の金融機関は、慎重かつ十分な計算をした上で、そのような貸し出しを行っているに違いない。にも関わらず、想定以上にデフォルトは起きて、ローン事業そのもの及びこれを組み込んだ証券の価値を揺らがしているわけで、となればそもそもの「ローンを貸すこと」自体の意味や妥当性を疑ってしまう。
 もう一つは、住宅ローンを証券化して投資対象とすることがよいのかどうかということ。これまでの住宅ローンであれば、仮にデフォルトしても損を被るのは借りた個人と貸した金融機関だけであり、これはある意味互いの“自己責任”であると言えるだろうが、ローンが証券化されればより多くの投資家が損害を受けることになり、その結果が今回のような世界的な経済への影響につながってしまうのである。証券化というのは、リスクを分散することで投融資を円滑にするためのものだろうが、その分責任も分散されて見えにくくなり、影響もその分広がってしまうわけで、住宅という個人的なものに対するローンが、そういうふうに“広がって”いってしまってよいものなのか。
 さらに考えれば、証券化という方法を使ってまでしてローンを提供し、低所得者を含めた多くの個人に住宅を購入させるというやり方が、本当によいものなのだろうかという気もしてくる。そもそも住宅を買う必要がなければ、ローンも必要ないのであり、もちろん証券化も必要がなく、このような経済への影響もないわけである。住宅建設による景気へのプラスの影響は大きく、実際にサブプライムローンなどによる住宅建設・販売が近年のアメリカ経済の好況をつくってきたのだろうが、それが崩れた時のマイナスの影響が大きいことも事実であって。そういうことを考えると、住宅に対する政策全般が市場重視になっていく中で、その根底にある「住宅を売る/買う」という行為の意味を改めて見直さなければならないように思う。
 先日旅行した中国でも、かなり多くの巨大な住宅が建設・供給されていて、ある程度経済が活性化してくると、多くの富を得た人をターゲットにした住宅が供給されて、それが経済をさらに押し上げるという循環がある様子だったが、こういうやり方はいつまで続くものなのだろうか、それ以前に本当に良いやり方なのだろうか。

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Mar 12, 2006

「もうひとつの住まい方」をどうつくるか?

 「もうひとつの住まい方研究大会」というシンポジウムに参加。市民団体が集まった実行委員会が主催するもので、地域密着型で市民の多様なニーズに対応した住まいづくりについて、10年後を見据えて考えるという集まりである(と理解している)。
 高齢者向け住宅や団地の再生、密集市街地の整備など、様々な住まいづくりの取り組みが報告され、論点が示されたのであるが、残念ながら内容が盛り込まれ過ぎの印象。5つの分科会×各4〜5例=20以上の事例が、わずか2時間の中で扱われるのだから、報告も議論もどうしても中途半端なものに終わってしまう。いくつかの分科会に関心があっても、それを回ることも難しい。この手のシンポジウムに良くあることだけれども、何を目的に行うか?が今ひとつ絞りきれていないのではないだろうか。事例の紹介というのであれば報告することに徹すればよいし、議論をしたいのであれば事例はあくまでも"素材"として扱えばよい、と思うのだが。
 この紹介するのか?議論するのか?という点は、このような新しい住まい方を今後どうやって創り上げていくのかとも関連するように思う。「こんなに良いこと/面白いことをやっている」という点を紹介して、同様の取り組みを他所にも広げていくのと、「こういう点が問題・課題だ」という部分を示した上で、そこの改善策を議論してより安定した仕組みにしていくのと、2つの進め方のベクトルのどちらを優先するのか、ということである。数を増やすことで社会を変えていくのか、質を高めることで普及させていくのか、とも言えるし、今回のシンポのタイトルを借りるならば、10年後に「もうひとつ」ではなくしていくのか、「もうひとつ」としてきちんと確立するのか、とも言えるだろうか。
 まちづくり系の場合、どちらかというと前者、共感する人を増やして事例を積み上げるという方向が指向されるように思うのだが、住まいづくりの場合、具体の住まう空間やお金が関わることからすれば、むしろ後者、きっちりと成り立つ仕組みをつくることが、より指向される必要があるように思える。立ち上げるだけではなく、その後10年・20年と持つ仕組みが求められるということだろう。
 その意味では、こういうシンポでは、事例の紹介以上に、事例が抱える問題点をきっちりと時間をかけて検証して、仕組みを安定させるための改善策が議論される必要があるのではないだろうか。そうしないと、もうひとつの住まい方が発展していかないように思える。また、10年後にもうひとつの住まい方をつくることはもちろんだが、現時点であるもうひとつの住まいを、10年後まできちんと続ける・10年後にも成り立つようにすることも重要な課題であって、新しいものを模索するだけでではなく、今あるものを安定させる方策を考えることも必要はないかと思う。

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Feb 22, 2006

権利をまとめていく手法を

 厚生労働省の人口動態統計で、日本の総人口が減り始めたとのこと。いよいよ人口減少社会が到来したことになる。この問題は、近年住宅・都市分野でホットなテーマとなっていて、いろいろな研究が行われ始めている。人口がいずれ減ること自体は以前から分かっていたのだから、もっと早く取り組まれてもしかるべきだけれど、実感がないと取り組もうと思わないのか、あるいは研究というものにも流行りがあるからなのか、ここに来て盛り上がりを見せているわけである。
 私自身は直接こういう研究自体をやっているわけではないけれど、2050年の都市居住を考えるという書籍を企画・執筆したこともあって、この問題には関心を持っている。他の研究者同様、人口が減少していく中で、都市全体や住宅地・住まいをどのようにしていくか、ということである。
 友人の饗庭氏は「縮退のアーバンデザイン」と言って都市デザインの観点から問題を考えているが、私の場合には言うなれば「権利の縮減方策」、土地や住宅の権利をどうやってまとめていくか・減らしていくかという問題を考えている。
 振り返ってみれば、これまでの都市というのは、権利を細分化することで拡大・発展してきた。郊外では大地主が持っていた森や畑を開発して住宅地として区画割りして個別に分譲、都市内では一定のまとまった敷地にマンションを建てて住戸毎に分けて分譲して区分所有するなど、土地の権利を細かくすることで住宅の数を増やしてきたわけである。近年でも、大きな敷地の邸宅が相続の際に売られて3階建ミニ戸建になったり、都心部の容積が緩和されて数百戸規模の超高層マンションが出来たりしている。私の研究テーマであったマンションの建替えも、余剰容積を活かして戸数を増やして売っており、つまりは土地を分割し切り売りしている。このように権利を細かく割って売ることで、人口の増加に対応すべく住宅を増やすとともに、事業の資金を確保してきたのである。
 この「権利を細かくして住宅を増やし、住宅を売ることで事業資金を得る」というスキームが、今後の人口減少社会では成り立たなくなる。まずは、住宅を増やす必要がなく、逆に住宅を減らさなければならない。そこでは権利を細かくするのではなく、まとめていく必要が出てくるのだが、細かくした分を売って資金を得ることは出来ないのであって、これに変わる事業資金の確保方法を考えなければならなくなる。お金を生み出すベクトルとは逆の方向に進めつつ、そのためのお金を生まなければならないわけで、これは非常に難しい。
 こう考えた時、その分の資金は公的に…という話になりがちだが、今後の社会を考えれば公的資金でというよりは、所有者同士の何らかの契約や協同によって、権利をまとめていかなければならないのだろう。そんなことを考える際に、マンションの建替えというのは格好の題材だと思っている。マンションのような細かく分かれた権利を、再生事業の中でまとめる方法が出来たならば、郊外の戸建住宅地などでも応用可能で効果的だと思うのだが。

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Jan 20, 2006

住まいづくりのコミュニティ・ファンド

 2日続けて住まいとお金に関する会合が続く。今日は早稲田都市計画フォーラムコミュニティネットワーク協会が共催のセミナーで、テーマは「コミュニティ・ファンド」。普通の市場原理では成り立たせるのが難しい、社会的な意味を持つ事業に対して、趣旨に賛同する市民からの出資を集めてファンドをつくり、ここからの資金を投入することで事業を実現しようというものである。市民風車をつくるためのファンドがすでに動いているほか、まちづくり系でも京町家の再生や中心市街地の活性化、福祉住宅などを対象にした動きがあるという。
 こういう話は、参加しているNPOでも議論して仕組みを考えたのであるが、住まいの場合にはスキームづくりが難しい。例に挙がった市民風車の場合、建設費用の一定割合は国からの助成があり、発電した電気は15年間に渡って電力会社が買い取るという契約で、風車の耐用年数は20年程度だという。つまり、集めるべき金額は必要額の半分以下で、かつ建設費用を償却すべき期間と同等の長期に渡って安定的な収入が確保されているわけで、資金計画は立てやすく、ファンドの出資に伴うリスクも少ない。一方で住まいづくりの場合、集めなければならない額はより多く、入居者が確実に確保できるかの見通しも立たず、造った建物は30年・50年もしくは100年という長期に渡って成り立たせなければならない。このように、事業に伴うリスクが大きくなれば、ファンドの計画的な運用は難しくなり、その分配当できる利子も少なくならざるを得ない。趣旨に賛同して出資するファンドなんだから、配当はあまり考えなくてもよいという見方もあるけれども、ファンドである以上やはり一定の配当は計画されなければならないであって、その意味で住まいの場合は課題が多い。
 住まいの場合の問題はまだあって、住まいをつくることによる「効用」が受けられる人が、どうしても限られてしまうのである。環境に関する事業の場合には、ファンドに出資する人は当該事業が行われる場所から離れていても、「環境によいことに投資した」という満足感=効用が得られるけれども、住まいの場合には効用を受けるのは直接その住まいに住む人が中心であって、地域にとって必要という意味で周辺の人からの出資は得られたとしても、その他の全国各地の人々から広く出資を集めるのは難しいから、集められる資金の額も少なくならざるを得ない。
 集めなければならない額は大きく、しかし集められる額は小さい。住まいづくりのためのコミュニティ・ファンドを取り巻く環境はなかなか厳しそうだが、新たな住まいの選択肢を広げる意味から、今後の可能性を考えていきたい。

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Jan 19, 2006

リバース・モーゲージは育っていくだろうか?

 建築学会の委員会の定例研究会に参加、テーマは「リバース・モーゲージ」。武蔵野市など自治体が最初に取り組み、民間金融機関も続いたものの、バブル崩壊で一旦は下火になってしまったこの仕組みであるが、近年では厚生労働省が「長期生活支援資金」という制度をはじめたり、金融機関が富裕層を対象にした事業を始めたり、住宅メーカーも取り組みはじめるなど、再び動き始めているという。
 ただ、近年の動きはいずれも副次的な目的・狙いがあるという。長期生活支援基金は生活保護という福祉政策の一環、金融機関の商品はまとまった預金の獲得も狙ってのもの、住宅メーカーは購入者へのアフターサービスと自社物件の品質アピールの意味で、ということである。つまり、リバース・モーゲージそのものだけで成り立つというわけではなく、副次的な効果も含めて総体として取り組んでいる、ということらしい。
 リバース・モーゲージという仕組みはとても興味深く、高齢期の居住を支える仕組みとして期待したいところなのであるが、仕組み自体で必要な収益を挙げて成り立たせることはなかなか難しいようである。収益を得るには十分な担保価値が見込める物件でなければならないのだが、価値の見込める都心の物件や高級な物件であれば、そういうところに住む人はそれなりの生活資金も持っているだろうから、そもそもリバース・モーゲージを必要としない可能性も高いのであって、仕組みが成り立つ物件と仕組みが必要な物件との間にギャップがあることとなる。
 となると、今後この仕組みを普及させていくには、仕組みが必要な物件でも成り立つような制度設計をするか、もしくは副次的な効果を評価してその分のコストを「補填」するか、であろう。アメリカでは、副次的な効果に着目して連邦政府が政策として下支えを行い、利用する物件が増えて安定した運用が出来るようになることで仕組み自体も成り立つようになったとのことである。日本でもこういうことが出来るだろうか。
 近年生まれつつあるリバース・モーゲージの卵を、この先きちんと育てていけるかどうか。などと言うと、卵が先かニワトリが先か、的な議論になってしまうのであるが。

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